2019-12-01から1ヶ月間の記事一覧
2019年も今日で終わりますが、 この1年間、はてなブログに休むことなく投稿できました。 まず、「断食救人類の書」を300回を2月に終えて、 ここから78編を選んで単行本を発行することができました。 しかも商工会の持続化資金という国の補助金で発行できま…
過熱するDIYバイオ 危うさはないのか? 過熱するDIYバイオ。アメリカの医学会は、人体の遺伝子改変など、行き過ぎた実験には懸念を示しています。 米国遺伝子細胞治療学会 ヘレン・ヘスロプ会長 「専門的な裏付けのないまま、個人がやみくもに実験を行…
この世にない植物を! バイオ技術で“新発明”続々 DIYバイオが、世界で最も進んでいるのがアメリカです。 ニューヨークで会社経営をするこの男性も、 5年ほど前からDIYバイオの魅力に取りつかれたといいます。 セバスチャン・コチョバさん 「牛肉にも…
DIYバイオがNHKクローズアップ現代でも取り上げられています。 その番組の内容は次のようなものです。 ・・・遺伝子の改変など、最先端のバイオテクノロジーの研究を市民が行う “DIYバイオ”が、欧米を中心に急速に広がっている。 遺伝子解析のコストが大…
DIYが発展して「DIYバイオ」があります。 ウィキでは次のように説明されています。・・・ 自己流生物学、またはDIY生物学、DIYバイオ (英: Do-it-yourself biology, DIY biology, DIY bio)とは、 バイオテクノロジー(生物工学)に関する拡大中の社会運動…
ウィキには、次のようなDIYの言葉と概念が説明されています。 ・・・DIY(ディー・アイ・ワイ)とは、 お金を払って他者(業者)にやらせるのではなく、自身で(つまり自分の身体を使って) 何かを作ったり、修理したり、装飾したりする活動のことである。 …
2017年6月3日にオープンしました 「古民家ファスティング 藤樹の宿」も2年半となりました。 12月3日付で私のブログ「40日ファスティング経験者の本音!」で 300回連載した「断食救人類の書」から76編を抜粋して、単行本を発行しました。 そして2020年…
尊徳は詳しく調査をしますが、その村に数か月住み、 村の一軒、一軒を訪ねて情報を収集し、小田原藩主に次のような報告書を書きます。 ここから内村の文章です。 ・・・荒廃した村の復興の可能性を見定めるために必要な情報をすべて集めた。 尊徳が小田原藩…
尊徳は叔父の家に引き取られ、字を学ぶために孔子の大学を密かに学ぶのですが、 叔父から貴重な油を使うなと叱られますが、 それならば自分でその油を手に入れようと持ち主のいない耕地を耕し、 アブラナを育てます。 そして見事な収穫で菜種を油屋に持って…
内村は尊徳登場までのことを次のように書いています。 ・・・19世紀の初め、日本の農業は実に悲惨な状態だった。 泰平の世が200年も長く続いたため、あらゆる階層の人々が贅沢と浪費をおぼえ、 怠惰になった影響はすぐに耕地に表れた。 全国各地で耕地からあ…
3回にわたって二宮尊徳を紹介してきましたが、 内村鑑三はなぜ3バンバッターとして二宮尊徳を登場させたかです。 尊徳は江戸末期に関東・小田原藩など 関東各地の農村復興を担っていく村興しの指導者でした。 その尊徳の生き様を通して、 内村は日本の富国…
ウィキによれば尊徳の子孫について次のように紹介しています。 ・・・二宮尊行 - 二男。通称、弥太郎。文政4年(1821年)生まれ。 尊徳の長男・徳太郎が生後まもなく没したため、嫡男となる。 尊徳没後も御普請役の命を受け、遺志を受け継ぎ日光山領89村の仕…
朝日日本歴史人物事典にあったように内村鑑三が「代表的日本人」英文で 全世界に紹介し、江戸時代の末期に登場した人物です。 内村は「代表的日本人」で二宮尊徳というタイトルのあとに 「農民聖者」と題をつけています。 幕末に生まれ維新革命を起こしたラ…
内村鑑三の「代表的日本人」の3番バッターは二宮尊徳です。 薪を背負って本を読みながら歩く姿の少年時代の二宮尊徳像を思い出す人も多いでしょう。 まずどのような人物なのか、朝日日本歴史人物事典から引用します。 二宮尊徳(にのみやそんとく) [生]天…
鷹山は上杉藩を治めた藩主でしたが、その生涯は 質素、倹約に心掛け、民もそれに習い、その生涯は謙遜で知的で哲学者の生涯でした。 鷹山はまさに天と通じる生きる道を知っていたのです。 それは西郷隆盛と共通していることです。 そして天に導かれて考えて…
内村は鷹山の人格についてこのように書いています。 ・・・鷹山の純粋さと高潔さは、家庭や家族関係に最もよく表れていた。 米沢藩の財政の信用が十分に回復し、 いくらでも豊かな暮らしができるようになってからも、 鷹山は最後まで木綿の着物と質素な食事…
日本に存在していたこと自体げ奇跡といわれた鷹山の米沢藩について、 内村は学者、倉成竜渚の記録を紹介しています。 「米沢には正礼市とよばれるものがある。 草履、わたじ、果物その他の品々が値札をつけて杭に下げてある。 持ち主はそれを見張ってはいな…
また鷹山は藩を支える農民階層に対して「伍什組合の令」を出します。 そこではこのような掟を作り、守らせます。 1・5人組は常に親しくして交わり、支え合うこと 2・10人組は家事もオープンに親類のようにすること 3・その組の者は互いに助け合うこと、…
また内村は次のように鷹山のことを紹介しています。 ・・・仁政とは病人を治療する機関を備えてはじめて完成したといえる。 その点でも、この名君に抜かりはなかった。 医学校「好生堂」を開設し、教師に当時の名医を2人招いた。 薬草を栽培するための植物…
鷹山の産業革命は神の前に低くして出たことにありました。 藩主(今日でいえば社長)は、藩主ではあっても鷹山は役割だと考えました。 そして藩主から比べれば最も身分の低い農民であっても 神聖な役割があるのだということを見事に実践していきます。 農民…
鷹山は米の生産には水利の良し悪しが鍵だと考え、 長時間をかけて堤防、灌漑用水、 そしてトンネル工事などで驚くべき工事を成し遂げていきます。 内村はこのように書いています。 ・・・荒れ地に花が咲き、鷹山の領地は豊かな実りを生むようになった。 それ…
鷹山の藩政改革はまず、藩の役人の改革から始まります。 まず能力ある人物を登用して惜しみなく手当てを与え、 役職者に「民の父母」としての行政の監督者を置いたことです。 そしてまるで巡回教師のように事細かい日常生活まで指導して藩内を回ったのです。…
サムライ・ファスティングを極めていくために 新渡戸稲造の名著「武士道」の要約を紹介し、解説をして、 引き続き内村鑑三の名著「代表的日本人」を今、連載しています。 この2冊は、ほんとうのサムライ精神、武士道精神を見事に描き、 日本のため、世界のた…
鷹山はまだ16歳でしたが、 先回に書きましたような困窮の只中にある米沢藩当主となります。 現代でいえば倒産寸前の社長に就任したようなことです。 内村鑑三の文章に戻ります。 ・・・藩主の地位に就いて2年後、鷹山は初めて自分の領地である米沢に入った…
二つの辞典で紹介したように まさにサムライ・ファスティングを地で行く上杉鷹山ですが、 内村鑑三の紹介記事は実に優れた筆で見事に鷹山公の若き日を描いていきます。 ・・・鷹山が、今の羽前の国にあたる米沢藩の家督を相続したのは、 弱冠17歳のときであ…
内村鑑三は「代表的日本人」のトップバッターに西郷隆盛をもってきました。 ラスト・サムライで日本を代表する武士道精神に生きて、 明治維新革命を引き起こした人物です。 そして内村は二番バッターに上杉鷹山をもってきましたが、 NHK・Eテレビで放送され…
西郷のいう天の声を聞くとは何かを内村はさらに続けて書いていますが、 武士道、サムライ精神とはまさに「天を敬う人」だと定義しています。 内村の言葉を聞きましょう。 ・・・「天を敬う人」は、正義を尊重し、実行する人にならざるをえない。 「正義のひ…
ラスト・サムライであった西郷隆盛の「敬天愛人」の天について 内村はかなりのペースを割いて考察しています。 ・・・「天は人も我も同一に愛したまうゆえ、我を愛する心をもって人を愛するなり」 という西郷の言葉には、律法と予言者の思想が込められており…
さてサムライ・ファスティングの源流に戻り、 「代表的日本人」のトップバッターであります西郷隆盛に戻ります。 内村鑑三は西郷の生活と人生観についてこのように書いています。 ・・・西郷ほど無欲で生きた人はいなかった。 帝国陸軍元帥など閣僚の中の最…
1994年にアメリカのキリスト教会では、 キャンパス・クルセード(ccc)創始者のビル・ブライトが、 全米のキリスト教指導者に向けて、40日断食祈祷を呼びかけ、 それに呼応してフロリダのccc本部に集まり、40日断食祈祷を挙行しました。 その時の記録は…