サムライ・ファスティングに生きるとは 「代表的日本人」に書かれた武士道精神14 西郷隆盛 10 西郷の生き方・美田を残さず
さてサムライ・ファスティングの源流に戻り、
「代表的日本人」のトップバッターであります西郷隆盛に戻ります。
内村鑑三は西郷の生活と人生観についてこのように書いています。
・・・西郷ほど無欲で生きた人はいなかった。
帝国陸軍元帥など閣僚の中の最有力でありながら、外見は普通の兵士と同じであった。
月収数百円あっても、生活は15円で優にまかない、
残りは困窮している友人に気前よく与えていた。
東京の番町にあった住居は、
見るからにみすぼらしい造りで1ヶ月の家賃は3円だった。
・・西郷は自分のことだけでなく、財産にも無関心だった。
東京の一等地に所有していた広い土地を、
設立されて間もない国立銀行に譲り渡したっ時には、売値を聞かれても、
頑として自分から言おうとしなかった。
西郷の多額の年金は、ほとんど鹿児島に創設した私学校の維持費に充てられた。
西郷が詠んだ漢詩に、次のようなものがある。
わが家の遺(訓)法、人知るや否や
児孫(子孫)のために、美田を買わず
この詩のように、西郷は妻子に何も残さなかったが、
謀反人として死んだにもかかわらず、国家が遺族の面倒をみた。
西郷のこのような無関心は、近代経済学からすると、とんでもない話だろう。
・・西郷は人の平穏な暮らしをかき乱すことをひどく嫌い、
しばしば他人の家を訪ねることがあっても家の中に入って声をかけることをせず、
玄関に立ったまま、家の人がたまたま出てきて、彼に気づくまでじっと待っていたのである!
西郷の生活は、このように地味で簡素だったが、
その思想は、聖者か哲学者の思想だった。
「敬天愛人」の言葉が西郷の人生観をすべて要約している。
すべての知恵はこの教えにあり、すべての無知は、自分だけを愛する利己心にある。
西郷が「天」をどのようなものとして受け止めていたか、
それを「力」と見ていたか「人格」と見ていたか、
彼独自の実践的方法以外には、
「天」をどのように崇拝していたかを確認する方法はない。
しかし、西郷が「天」は全能であり、不変であり、きわめて慈悲深い存在であり、
その法は疑うこともなく、誰もが従うべき、
きわめて恵み豊かなものとして理解していたことは、
その言動が十分に証明している。・・・
内村は西郷の武士道精神を「待つ」こと、
そして天の命を待つことを中心に描いています。
待つことは天の命を受け取るまでということです。
この武士道精神が本当のサムライ精神なのです。
そしてサムライ・ファスティングの精神なのです。