40日ファスティング経験者の本音!

ファスティング(断食)の素晴らしさやファスティングの正しい方法、効果などを紹介しています。

2019-11-01から1ヶ月間の記事一覧

サムライ・ファスティングに生きるとは 「代表的日本人」に書かれた武士道精神11 西郷隆盛 07 霊性革命

内村鑑三は、明治維新を「維新」ではなく、「革命」と見ていました。 その中核精神を藤田東湖のような激しい火のような人物が必要であったけれども、 日本を動かすには「西郷のような穏やかな魂の中に植え替える必要があった」と 内村は分析しています。 こ…

サムライ・ファスティングに生きるとは 「代表的日本人」に書かれた武士道精神10 西郷隆盛 06 天から聞いた男

藤田東湖についてさらに内村の文章を続けます。 ・・・正義を熱烈に愛し、野蛮な西洋人を徹底的に憎む彼のまわりには、 おのずと次の日本を担う若者たちが集まってきた。 そして遥か離れた地で彼の評判を耳にした西郷は、 藩主に従って江戸へ入ったときに東…

サムライ・ファスティングに生きるとは 「代表的日本人」に書かれた武士道精神09 西郷隆盛 05 世界に誇れ!陽明学の祖が出た高島市安曇川町

私はこれまで、「よくぞ、このド田舎である高島市に移住してきたね」 と何度も聞かれました。 滋賀県庁の職員(高島保健所)は、 「このような貧乏県でしかも何も工場もない貧乏な高島市に来られましたね」と しみじみ言われたのには驚きましたが、私はこの…

サムライ・ファスティングに生きるとは 「代表的日本人」に書かれた武士道精神08 西郷隆盛 04 陽明学との出会い

内村はラストサムラであった西郷の生き方を生き生きと紹介していきます。 ・・・力持ちで相撲をとるのが大好きで、この習慣は生涯変わらなかった。 若くして王陽明の著作に惹かれた。 陽明学は数ある中国思想の中でも、善悪の観念と寛容ながらも 厳格な天の…

サムライ・ファスティングに生きるとは 「代表的日本人」に書かれた武士道精神07 西郷隆盛 03 明治維新は天の命 

内村鑑三は、西郷隆盛の生涯はまさに「天命」であって、 西郷が用いられたのは西郷の意思ではなく、天の命だという視点から見ています。 そして西郷の語った「敬天愛人」は、力で人を圧しない。 人を自分の思い通りに使わない。 他者のために自分を捧げると…

サムライ・ファスティングに生きるとは 「代表的日本人」に書かれた武士道精神06 西郷隆盛 02 開国に働く神の支配

ラストサムライといわれる西郷の生まれる江戸末期を 内村鑑三は見事に描いていきます。 ・・・わが国の長い鎖国は終わりに近づいていたが、それを完全に終わらせるには、 しかるべき人物と機会が必要であった。 この頃、太平洋の両岸に位置する中国とカリフ…

サムライ・ファスティングに生きるとは 「代表的日本人」に書かれた武士道精神05 西郷隆盛 01 ラストサムライ 

「代表的日本人」のトップバッターは「西郷隆盛」です。 ブリタニカ国際大百科事典の解説を引用します。 ・・・1827.12.7. 鹿児島で生まれ-1877.9.24没./幕末,明治維新の元勲,政治家で軍人。 通称吉之助。 南洲と号した。薩摩藩下級士族の出身。 藩主島津…

サムライ・ファスティングに生きるとは 「代表的日本人」に書かれた武士道精神04 内村鑑三はなぜこの本を書いたのか 04

日本人の霊性を論じたのは鈴木大拙が有名です。 代表的著作「日本的霊性」は1944年の発行ですが、 内村は50年前に「代表的日本人」の中で 日本人の霊性を正しく世界に伝えたパイオニアであったのです。 仏教思想家の鈴木大拙は、 ・・・宗教が深まるから霊性…

サムライ・ファスティングに生きるとは 「代表的日本人」に書かれた武士道精神03 内村鑑三はなぜこの本を書いたのか 03 

先に内村鑑三はアメリカの思想家エマソンの著作に影響を受けたことを書きましたが、 エマソンは十字架を否定するユニテリアン思想家でありましたが、 内村はそれでもエマソン流を導入しました。 「代表的日本人」のドイツ語版の後述にこのように内村は欠いて…

サムライ・ファスティングに生きるとは 「代表的日本人」に書かれた武士道精神02 内村鑑三はなぜこの本を書いたのか 02

内村鑑三が「代表的日本人」を出版される40年前に アメリカの思想家エマソンが「代表的人間像」を出版しており、 内村はこの著作に刺激を受けて書いたと言われています。 内村はこの書かれた頃を回想した記録があります。 ・・・ちょうどその頃(代表的日…

サムライ・ファスティングに生きるとは 「代表的日本人」に書かれた武士道精神01 内村鑑三はなぜこの本を書いたのか 01 

新渡戸稲造の名著「武士道」については、このブログでこれまで紹介してきました。 その「武士道」が英文で書かれる数年前に内村鑑三は、 優れた英文で「代表的日本人」を書き、世界に向けて日本の代表的な人物、 しかも武士道に生きた5人を紹介しました。 …

サムライ・ファスティングの神髄 07 サムライ精神でするファスティング 「健康しが」で語った内容  04 

(株)あなたの健康社のブースではオープンできた時間は会場の関係で 約3、40分ぐらいしかありませんでしたが、いろんな方が立ち寄ってくださいました。 名刺交換だけで十数名あり、チラシだけでもかなりの方が持ち帰っていかれました。 今度はその名刺交換の…

サムライ・ファスティングの神髄 06 サムライ精神でするファスティング 「健康しが」で語った内容  03

(株)あなたの健康社のブースでは約40分ぐらいですがいろんな方が立ち寄ってくださいました。今度は中年の男性です。 男性「今、あなたが発題されたように藤樹の宿には、女性が多いということですが、 男性でもできるのかね。 毎日、つきあの宴会も多いので…

サムライ・ファスティングの神髄 05 サムライ精神でするファスティング 「健康しが」で語った内容  02

11月14日は、サムライ・ファスティングとして語った部分だけ記載しました。 そして会場に「株式会社あなたの健康社」としてのブースを設けましたので、 そこで藤樹の宿のパンフレットや「断食救人類の書」申込みを受け付けました。 そのブースに少しふくよ…

サムライ・ファスティングの神髄 04 サムライ精神でするファスティング 「健康しが」で語った内容  01 

11月14日、第7回「健康しが」交流会で語った内容 滋賀県に移住して驚いたのは、滋賀県の断食に関する意識が、かなり遅れていることです。 今もなお比叡山延暦寺の修行僧がするものとか考えておられるようです。 しかし、今や東京では女子が3人集まれば、 「…

サムライ・ファスティングの神髄 03 なぜサムライ・ファスティングに到達したか 03 

最近、このブログでサムライ・ファスティングのカテゴリーを開始し、 特に新渡戸稲造の「武士道」を書いてきましたので、 ファスティング講座でも話すことが多くなりました。 最近、来られた女性の方にも、「サムライ・ファスティング」を話しましたので、 …

サムライ・ファスティングの神髄 02 サムライ精神の覚悟とは

先般、昨年5月に来会された男性の方なのですが、 92㎏ぐらいあった方でしたが、 帰宅後も藤樹の宿方式の超少食を実践したら 20kgの減量をわずか4ヶ月で達成したということでした。 しかし、少し油断したらあっという間に10㎏も戻ってしまったので、 …

サムライ・ファスティングの神髄 01 なぜサムライ・ファスティングに到達したか   

これまで新渡戸稲造の「武士道」を台湾の指導者であった李登輝の 「武士道解題」で17回(武士道が17章によるので)にわたって紹介してきました。 李登輝は台湾長老教会の信徒です。 ですからクエーカー派のクリスチャンであった 新渡戸稲造を正しく武士道…

武士道が生まれた背景  43 李登輝の武士道解題 21 第17章・武士道の将来

ヨーロッパの騎士道と日本の武士道の歴史を比較してみたとき、 これほどよく似ているのはまれである。もし歴史が繰り返すものだとすれば、 武士道の運命は、必ず、騎士道がたどってきた運命を繰り返すであろう。 ヨーロッパと日本の歴史的な経験において、最…

武士道が生まれた背景  42 李登輝の武士道解題 20 第16章・武士道はなお生きられるか

わが国における驚くべき西洋文化の進入は、 わが古来の教訓のあらゆる痕跡を、すでに拭い去っていまったのであろうか。 一国民の魂が、もしそのように早く死滅するならば、はなはだ悲しいことである。 そのように外来の感化によって屈服するようでは、 それ…

武士道が生まれた背景  41 李登輝の武士道解題 19 第15章・武士道の感化 

・・・武士道の道徳は、わが国民生活の一般水準よりもはるかに 高い山脈を形成しているが、 私はこれまでそのなかのさらに高いいくつかの峯を考察したにすぎない。 太陽が昇るときは、まず最も高い峯の頂上を紅に染めて、 それから次第にその光を谷間になげ…

武士道が生まれた背景  40 李登輝の武士道解題 18 第14章・婦人の教育および地位 

妻を意味する漢字の「婦」は、箒(ほうき)を持っている女という意味であるが、 もつともその箒をふるって、夫に対して攻撃に出たり、 あるいは防御したりするものではなく、また魔法をかけるためではない。 箒の無害な本来の用途においてである。 「婦」と…

士道が生まれた背景  39 李登輝の武士道解題 17 第13章・刀・武士の魂 

・・・刀の鍛冶屋はたんなる工人ではなく、霊感を受けた芸術家であって、 その職場は、神聖なところとされていた。彼らは毎日、神仏に祈り、 斎戒沐浴をしてから、仕事を始め、あるいは 「その心魂気迫を打って錬鉄鍛冶した」のである。 ・・武士道は、みだ…

武士道が生まれた背景  38 李登輝の武士道解題 16 第12章・切腹および仇討ち  

・・・切腹を聞く者は「腹を切るとは何と不合理なことか!」と叫ぶであろう。 確かに外国人の耳には、奇怪なものに聞こえるかもしれない。 しかし、シェークスピアのジュリアス・シーザーを読めば奇異な感じをしないであろう。 ・・切腹が我々には、まったく…

武士道が生まれた背景  37 李登輝の武士道解題 15 第11章・克己(セルフコントロール)

・・・武士が感情を顔にあらわすのは男らしくないと考えられ、 「喜怒を色に現わさず」とは、強い性格を評価する言葉であって、 最も自然な愛情をも抑制されてきた。たとえば父がその子を抱くのは、 父の威厳を害うことであり、夫は私室においてはともかく、…

武士道が生まれた背景  36 李登輝の武士道解題 14 第10章・武士の教育および訓練 

武士の教育において、最も重んじられたのは、品性を確立することであって、 思慮、知識、弁説などの知的な才能は第二義的なものであった。 美的な芸能の楽しみもまた武士の教育上、重要な役割を占めていた。 それは教養ある人にとっては欠くべからざるもので…

武士道が生まれた背景  35 李登輝の武士道解題 13 第9章・忠義

・・・封建道徳には、他の道徳体系や武士以外の階級にも共通しているものも多くあった。 しかし、この目上の者に対する服従と忠誠の徳は、 封建道徳の中ではっきりとその特色を示すものである。 あらゆる種類や境遇における人間の間に、忠誠が重んじられたこ…

武士道が生まれた背景  34 李登輝の武士道解題 12 第8章・名誉 

・・・恥は(武家の)少年の教育において第一の徳目であり、 「笑われるぞ」、「体面を汚すぞ」、「恥ずかしくないか」などの言葉は少年に対して、 正しい行動を促すときの最後の戒めであった。 このように少年の名誉心に訴えることは あたかも母親の胎内に…

武士道が生まれた背景  33 李登輝の武士道解題 11 第7章・真実および誠実  

・・・礼儀を行うのに、真実と誠実の心が欠けていたならば、それは茶番になり、お芝居になってしまう。 伊達政宗は「礼儀も過ぎれば、へつらいとなる」と言っている。 「心だに誠の道にかないなば、祈らずとても神や守らん」という菅原道真は、 ボロニウスを…

武士道が生まれた背景  32 李登輝の武士道解題 10 第6章・礼 

「仁」と「礼」は密接な関係があり、新渡戸稲造は武士道をみごとな体系へと導いていきます。 ・・・礼儀の最高の形はほとんど愛に近い。われわれは敬愛なる気持ちを持って、(聖書の言葉の礼の一字をかえて) 「礼は寛容であって人の利をはかる。礼は妬まず…