40日ファスティング経験者の本音!

ファスティング(断食)の素晴らしさやファスティングの正しい方法、効果などを紹介しています。

サムライ・ファスティングの神髄 01 なぜサムライ・ファスティングに到達したか   

これまで新渡戸稲造の「武士道」を台湾の指導者であった李登輝

「武士道解題」で17回(武士道が17章によるので)にわたって紹介してきました。

李登輝は台湾長老教会の信徒です。

ですからクエーカー派のクリスチャンであった

新渡戸稲造を正しく武士道を受け止めることができたのです。

この解題を読みながら知ったのは、

新渡戸稲造が書いた「武士道」を正しく受け止めるのは、

聖書にもとずくキリスト信仰しかありえないということです。

ところが日本では明治以降、国粋主義者神道を悪用して、

武士道を軍人精神に用いてしまいました。

ですから無謀な太平洋戦争に突入してしまい、

敗戦後、今度はアメリカ式の民主主義で武士道を葬り去ってしまいました。

明治時代の近代化の幕開けに似非近代化、

名だけの民主主義で武士道を正しく継承できなかった最大の戦犯は、

欧米から来た宣教師であったと新渡戸は鋭く見ていたのです。

ですから優れた英文で「BUSHIDO」を書いたのです。

そしてその武士道精神で教会を形成したのは、

最大の友人であった内村鑑三でした。

内村の唱えた無教会精神は、まさに武士道精神そのものだったのです。

新渡戸稲造の「BUSHIDO」が出版される数年前に内村は

これまた優れた英文で代表的日本人をアメリカで出版しました。

そして欧米でベストセラーになったのです。

ここで選ばれた5人の日本人の代表の一人が

高島市安曇川町で召された中江藤樹だったのです。

中江藤樹は塾を開設しましたが、陽明学を用いて日本精神、

いや日本の武士道精神を伝えていたのです。

5名の中に中江藤樹内村鑑三は選んだのは優れた見識でした。

そのことから私は、私の到達した断食道を日本に普及するため、

高島市安曇川の古民家を選んだ最大の理由は、

この中江藤樹生誕の地であり、

ここで地味ながらも日本の武士道を藤樹塾で少数の若者に教えた

その生きざまを伝えることでした。

私は名前を中江藤樹を継ぐと決意して、「藤嗣」としました。

その決意の表れなのです。

私は今回、あらためて新渡戸稲造の「BUSHIDO」や

李登輝の優れた解説書を熟読してみて、

武士道精神による断食道につながっていくことを確信しました。

ゆえに今回、「サムライ・ファスティング」と名づけた

カテゴリーをこのブログに設けました。

これまで私は2冊の断食に関する翻訳本を出版しましたが、

サムライ・ファスティングこそ

世界に向けての断食救国・救人類の提唱であると確信します。

12月2日に「断食救人類の書」を発行します。

そのビジョン推進のスタートダッシュに大きな使命を帯びた本です。

そして今より、「サムライ・ファスティング」の神髄に迫っていきたいと思います。