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サムライ・ファスティングに生きるとは 「代表的日本人」に書かれた武士道精神05 西郷隆盛 01 ラストサムライ 

「代表的日本人」のトップバッターは「西郷隆盛」です。

ブリタニカ国際大百科事典の解説を引用します。

 

・・・1827.12.7. 鹿児島で生まれ-1877.9.24没./幕末,明治維新の元勲,政治家で軍人。

通称吉之助。

南洲と号した。薩摩藩下級士族の出身。

藩主島津斉彬の知遇を受け藩政に参画。

島津久光公武合体論に抗して尊王攘夷運動に奔走。

1867年 12月9日の王政復古に重要な役割を演じ,新政府参与,戊辰戦争では

大総督参謀となった。

明治4 (1871) 年,参議筆頭となり,廃藩置県に尽力したが,

征韓論を唱えて政府にいれられず辞職。帰郷して私学校を経営し,士族授産に尽力した。

しかし中央政府との疎隔がはなはだしくなり,部下に擁立されて

1877年,西南戦争を起し,ついに敗れて城山で戦死した。

死後,陸軍大将の位階などが復元された。・・・

 

この解説でも明らかなように明治維新では最大の功労者ですが、

西南戦争で明治政府と戦い、切腹します。

まさに「ラスト・サムライ」でした。

この西南戦争が起こったのは1877年で著者の内村鑑三札幌農学校

「武士道」を書いた新渡戸稲造とともに

「イエスを信ずる者の契約」に署名した年でした。

その1年後に内村は洗礼を受けています。

さて、ラスト・サムライであった西郷を論じるにあたり、

内村は一貫して西郷は天の命を受けたと書いています。

これから内村の文章を引用しますが、京セラの稲森和夫会長の日英対訳本からです。

まず内村は徳川267年の鎖国時代について

 

・・・長く国を閉ざしていたと日本を非難するのは全く道理を外れた批判である。

日本が国を閉ざしたのは天命であり、それは日本にとっても、

世界にとってもかえって良かったのであり、今もそれは変わらない。

いわゆる文明開化によくせるためとはいえ、

幼いわが子を外の世界に放り出す父親はいないだろう。

世界との距離が最も近かったインドは

やすやすとヨーロッパの利己主義の餌食となった。

インカ帝国やモンテスマの平和な国に世界は何をしたのか。

私たちが鎖国を非難されて、その門戸を開けばとたんに

クライブやコルテスのような輩がこの国に襲い掛かってくることになるのだ。

戸締り厳重な家に押し入る強盗は、そういう機会を狙っているものだ。

したがって日本の四方を囲む海と大陸が、

世界に対する戸締りの用を果たしていたことは天の恵みだった。・・・

 

江戸時代の鎖国は天の恵みだったというのはどうかと思いますが、

しかし、内村はサムライ精神の中に天の恵みを何度も語りますので、

これは使徒パウロの武士道を語った指摘に繋がるものでした。