40日ファスティング経験者の本音!

ファスティング(断食)の素晴らしさやファスティングの正しい方法、効果などを紹介しています。

武士道が生まれた背景  36 李登輝の武士道解題 14 第10章・武士の教育および訓練 

武士の教育において、最も重んじられたのは、品性を確立することであって、

思慮、知識、弁説などの知的な才能は第二義的なものであった。

美的な芸能の楽しみもまた武士の教育上、重要な役割を占めていた。

それは教養ある人にとっては欠くべからざるものであったが、

武士の教育にとっては本質的なものというより、むしろ付属的なものに過ぎなかった。

学問に秀でることはもちろん尊ばれたが、知という言葉は、

主として知恵を意味するものであって、

知識はやはり第二義的なものとして考えられていた。

智、仁、勇気は武士道を支える三つの柱であった。

要するに武士は行動の人で、学問はその行動の範囲外にあって、

武士の職分に関するかぎりにおいてこれを利用した。

宗教と神学は僧侶にまかされ、

武士はただ自分の勇気を養うのに役立つ場合においてのみ、宗教や進学を学んだ。

あるイギリスの詩人が歌ったように、

武士は「人を救うのは宗教上の信条ではないが、

信条を正当化するのは人である」ということを信じていた。

哲学と文学の二つが、武士の知的な教育の主要な部分を占めていたが、

その目標とするところは、客観的な審理ではなかった。

要するに、文学は暇つぶしの娯楽としてこれを修め、

哲学は軍事的なあるいは政治的な問題を解明するためか、

そうでなければ自分の品性をつくる上の、実際的な助けとして学ばれた。

以上、述べたように、武士教育の家庭が、

剣術、弓術、柔術馬術、槍術、兵法、書道、道徳、文学、歴史などから

成り立っているのを見ても、別に驚くに足りない。・・・

 

 

【解説】

李登輝は武士は聖職者といいます。

しかも比経済人の営みだともいいますが、

武士は「ヴオーケーション」の聖職者であるというわけです。

医は算術でなく、仁述だといいますが、新渡戸は

「僧侶など宗教に携わる者の仕事は、

教師も、霊的な勤労、スピリチュアル・サービスであり、

金銀をもって支払うべきものではない」という考え方だといいます。

「武士は食わねど高楊枝」です。

それが克己(セルフコントロール)になります。

この上なく高貴な身分(ノーブレス)として

一般大衆から高い尊敬と深い信頼をかちえていたのです。

思えば私が24年間、所属した無教会は、

まさに武士道の集団といいますか、少なくとも武士のような伝道者ばかりでした。

その後、断食祈祷院や多くの聖会、集会に参加するとその差は歴然としています。

無教会以外は武士ではなく、商人か町人でした。

今は、全く日本に武士道が喪失してしまい、

愚かな政策、1988年経済バブルを生み出し、暴走し、

今もなお平成30年間、日本はバブルの後遺症の呪縛の中から脱出できないのです。