40日ファスティング経験者の本音!

ファスティング(断食)の素晴らしさやファスティングの正しい方法、効果などを紹介しています。

サムライ・ファスティングに生きるとは 「代表的日本人」に書かれた武士道精神28 二宮尊徳・農民聖者 06 勤勉こそ貴重な宝なり

尊徳は叔父の家に引き取られ、字を学ぶために孔子の大学を密かに学ぶのですが、

叔父から貴重な油を使うなと叱られますが、

それならば自分でその油を手に入れようと持ち主のいない耕地を耕し、

アブラナを育てます。

そして見事な収穫で菜種を油屋に持っていき、

これで勉強できると思いきや叔父は

これも養っている身分だから働くように命じられ、農作業が終わればわらじ、

薪をつくり、その薪を山にとりにいく間に勉強をしたといいます。

その薪を背負う尊徳を銅像にしたのが金次郎像なのですが、

この菜種の栽培で勉強した方法で

自分の村で洪水で沼地になった空き地を利用して水田をつくる計画をします。

農民があまった稲の苗を拾って植え、1俵の収穫を得ます。

これが尊徳の人生の貴重な宝となります。

尊徳は自然がこつこつと働く者に味方することを学んだのです。

そして数年後、叔父の家を出た尊徳は、

村の見捨てられた土地をみつけては稲作ができるように土地改良を重ねて

収穫をして資金を貯めて、ついに荒れ放題になっていた父の家を再興します。

これまでの叔父の家での忍耐の日々、信念と勤勉をもってすれば

荒れ放題のところも改良できることを実践していく基盤形成をしていきます。

何しろ山の斜面、川岸の空き地、道端、沼地と誰も捨てた土地を生かす

尊徳の勤労に当然、富は増し加わっていきました。

そして数年の地に相当な資産家となり、

近所の誰からも勤勉、倹約の模範として尊敬されるようになり、

あらゆる困難を自力で勝ち取ってきた尊徳は、

地域のためにさらに役立つようになりたいと願っていたのです。

尊徳のこのような働き方を知ったのは、

小田原藩主の知るところとなり、

このような人物を埋もれたままにしておくべきではないと藩主は考えたのです。

小田原藩江戸幕府の老中として全国に影響を与えていましたが、

さすが小田原藩主の眼は鋭かったといえます。

しかし、身分制度の厳しい徳川時代ですから農民の尊徳を抜擢することは

小田原藩の老中た武士階層が黙ってはいませんので

それを黙らせるには、尊徳の並外れた力を証明してほしいと

尊徳に放置されていた3つの村の再興をするように依頼したのです。

それまで誰も再興できなかった3つの村を再興できれば

小田原藩内にはまだ多くの荒廃した土地があるので、

尊徳に白羽の矢をあてて再興を依頼します。

しかし、尊徳は農民の出であり、

自分は父の家を再興するだけで十分であることを伝え、

3年間、断り続けます。

しかし、領主自らが熱心に説得しましたので尊徳は、ついに引き受け、

再興する3つの村の状況調査をします。