少食ファスティングの基礎 玄米菜食 11 玄米食の基本 02 銀シャリの誘惑 02
陸軍は白米(銀シャリ)が軍への勧誘でしたから、
白米中心の食事で脚気死亡者数は増加の一途でしたが、海軍は異なっていました。
辞典はこのように説明しています。
・・・大日本帝国海軍で軍医の高木兼寛は、イギリスの根拠に基づく医療に依拠して、
タンパク質が原因だと仮定して、洋食、麦飯を試み、1884年(明治17年)の導入により、
1883年の23.1%の発症率を2年で1%未満に激減させた。
理論こそ誤っていたものの、疫学の科学的根拠を得ていたということである。
だが、当時医学の主流派は、理論を優先するドイツ医学を模範としていたことから高木は批判され、
また予防成績も次第に落ち様々な原因が言われ、胚芽米も導入された。
これに対抗して、大日本帝国陸軍は白米を規則とする日本食を採用、
『明治二十七八年役陸軍衛生事蹟』によれば、死者総計の約2割、約4000人が脚気が原因であり、
陸軍はその後も脚気の惨害に見舞われた。農学者の鈴木梅太郎は、
1910年(明治43年)に動物を白米で飼育すると、脚気様の症状が出るが、
米糠・麦・玄米を与えると、快復することを報告。
これを基に翌年、糠中の有効成分を濃縮し「オリザニン」として販売したが、
医界においては伝染病説と中毒説が支配的であり、
また医学界の外にあった鈴木が提唱したこともあって栄養欠乏説を受け入れなかった。
1912年にポーランドのカジミェシュ・フンクがビタミンという概念を提唱したが、
なおも国内提唱の栄養説を俗説とさげすみ、外来の栄養説を後追いした。
陸軍主導の調査会には、真因を追及する能力はなかったとも指摘される。
陸軍が白米をやめ、麦3割の麦飯を採用したのは、海軍から遅れること30年後の大正2年だった。・・・
何と今では農学者、鈴木梅太郎が発見し、提唱したビタミン不足を陸軍は
多大な犠牲者を出しても採用しなかったとありますように陸軍の硬直化は深刻です。
それが愚かな太平洋戦争へと進んでいくのですから、
銀シャリ硬直主義も国家の命運を握るものだったのです。
それでは白米を食べ過ぎて生じてくる脚気とはどのような症状でしょうか。
脚気は戦争とともに去っていません。
何と戦後、ゴジラのように登場したのです。
辞典では・・・1975年(昭和50年)頃からジャンクフードの普及による栄養の偏りから脚気が再発した。
また、高カロリー輸液の点滴にビタミンB1を欠いたことから死亡を含む脚気の重症例が相次ぎ、
1997年に厚生省は輸液に際してビタミンB1を投与するという通達を出した。
アルコール依存症患者にも多い。2014年にも、高齢者が食品購入の不自由さから、
副食を食べず白米のみを食す食生活でビタミンを摂取できず発症する例が報告されている。
現代のジャンクフードは、例えばインスタントラーメンなどにビタミンB1が添加されているため
脚気の心配は少なくなった。
・・・とありますが、果たしてそうでしょうか。