40日ファスティング経験者の本音!

ファスティング(断食)の素晴らしさやファスティングの正しい方法、効果などを紹介しています。

少食ファスティングの基礎 玄米菜食 10 玄米食の基本 01  銀シャリの誘惑 01 

私は高校時代から玄米食を開始しましたが、

米食ほど誘惑にさらされるものはないことを痛感しています。

米食は何度も自然食ブームで注目され、開始した家庭も多いのですが、みごとに敗れていきます。

それほど銀シャリの誘惑は凄まじいのです。

明治時代に創設された陸軍は、「入隊したら銀シャリをたらふく食べれるぞ」

という勧誘に多くの農村部の若者が負けたそうです。

その結果は日清、日露戦争で白米の食べ過ぎで脚気が出ました。

脚気を辞典で調べてみました。

 

・・・ビタミン欠乏症の一つであり、ビタミンB1チアミン)の欠乏によって

心不全と末梢神経障害をきたす疾患である。

心不全によって足のむくみ、神経障害によって足のしびれが起きることから脚気と呼ばれる。

心臓機能の低下・不全を併発したときは、脚気衝心と呼ばれる。

最悪の場合には死亡に至る。 日本では、白米が流行した江戸において疾患が流行したため

「江戸患い」と呼ばれた。大正時代には、結核と並ぶ二大国民亡国病と言われた。

1910年代にビタミンの不足が原因と判明し治療可能となったが、

死者が1千人を下回ったのは1950年代である。

その後も1970年代にジャンクフードの偏食によるビタミン欠乏、

1990年代に点滴輸液中のビタミン欠乏によって、脚気患者が発生し問題となった。

元禄年間には、コメを精製する習慣が広まり、特に江戸で多く発生して「江戸患い」と呼ばれ、

経験的に他の精白されていない穀物を食べた。

明治時代に入り1870年(明治3年)には翌年にかけて脚気が流行。

明治末までに、毎年最小6,500人から最大15,085人死亡したとみられる。

大正以降、ビタミンB1チアミン)を含まない精米された白米が普及するとともに

安価な移入米が増加し、副食を十分に摂らなかったため、

脚気の原因が解明されビタミンB1の純粋単離に成功した後も、多くの患者と死亡者を出した。

統計上の脚気死亡者数は、1923年(大正12年)の26,796人がピークであり、

戦後まで年間1万人~2万人で推移した。また幼児の脚気による死者が非常に多く、

大正時代末期は0-4歳の幼児死亡原因の約半数が脚気によるものであった。

ようやく死者が1千人を下回ったのは、アリナミンとその類似品が社会に浸透する1950年代後半のことであった。・・・

 

この説明で明らかなように白米(銀シャリ)の被害は江戸時代から確実だったのです。

銀シャリの誘惑は江戸時代からで、玄米を食べていた江戸以外ではほとんど発生していません。

そのような事態でしたが明治以降、陸軍はまったく生かされなかったのです。