玄米菜食 121 玄米菜食の玄米はいかなるものなのか 17 石塚左玄の食養学
脚気という国民病はビタミンB1不足からが解明されたわけです。
それは昨日まで3回にわけて紹介した農林水産省のサイトの通りですが、
決定的に欠けているのは玄米菜食でした。
明治時代の海軍軍医、高木兼寛によって解決策が見出され、
バランスの良い食事への改善が図られたのですが、
日本の主流とはならなかったのですが、
玄米菜食を唱えた医師、石塚左玄という方がいました。
石塚 左玄(1851年3月6日 -1909年10月17日)は、
明治時代の日本の医師・薬剤師、であり陸軍で薬剤監、軍医です。
玄米・食養の元祖で、その食養は食養会につながり普及活動を行った方です。
石塚は、福井藩出身で、陸軍で薬剤監となった後、
食事の指導によって病気を治したのです。
栄養学がまだ学問として確立されていない時代に食物と心身の関係を理論にし、
医食同源としての食養を提唱しました。
「体育智育才育は即ち食育なり」と食育を提唱し、
食育食養を国民に普及することに努めたのです。
日本の近代栄養学の創設者だった佐伯矩が
国立健康・栄養研究所をつくるための寄付を募っていたとき、
左玄の功績を耳にした明治天皇がそういう研究所があってもいいのではと述べ、
その言葉で寄付が集まったといいます。
しかし、研究所は明治天皇が好きではなかった洋食を奨励し
食養とも結びつかなかった[のですが、
何と天皇家の献立は食養学に基づいているのですから石塚の影響です。
また、石塚の食養学は5つです。
1・食本主義
「食は本なり、体は末なり、心はまたその末なり」と、
心身の病気の原因は食にあるとしたのです。
「人の心を清浄にするには血液を清浄に、
血液を清浄にするには食物を清浄にすることである」。
2・人類穀食動物論
食養理論の大著である『化学的食養長寿論』は
「人類は穀食(粒食)動物なり」とはじまります。
臼歯を噛み合わせると、粒が入るような自然の形状で、粒食動物といいます。
または穀食主義ともいいます。
人間の歯は、穀物を噛む臼歯20本、菜類を噛みきる門歯8本、
肉を噛む犬歯4本なので、
人類は穀食動物である。穀食動物であるという天性をつくす。
3・身土不二
「郷に入れば郷に従え」、その土地の環境にあった食事をとります。
居住地の自然環境に適合している主産物を主食に、
副産物を副食にすることで心身もまた環境に調和します。
4・陰陽調和
当時の西洋栄養学では軽視されていたミネラルのナトリウム(塩分)と
カリウムに注目しました。
陽性のナトリウム、陰性のカリウムのバランスが崩れすぎれば
病気になるとしたのです。
ナトリウムの多いものは塩のほかには肉・卵・魚と動物性食品、
カリウムの多いものは野菜・果物と植物性食品となります。
しかし、塩漬けした漬け物や海藻は、塩気が多いために
ナトリウムが多いものに近いのです。
精白した米というカリウムの少ない主食と、
ナトリウムの多い副食によって陰陽のバランスくずれ、病気になります。
5・一物全体
一つの食品を丸ごと食べることで陰陽のバランスが保たれます。
「白い米は粕である」と玄米を主食としてすすめています。
今日のマクロビや食養、正食に連綿と語り続けられている理論です。
私たち藤樹の宿もこの石塚左玄の食養学を大いに参考にしています。