40日ファスティング経験者の本音!

ファスティング(断食)の素晴らしさやファスティングの正しい方法、効果などを紹介しています。

ファスティング(断食)で救国をー22-ドイツ医学、栄養学からの脱出は可能か

近代栄養学の築いたカール・フォン・フォイトは、「最も理想的な栄養は、高タンパク、高脂肪、低炭水化物である」と唱えたのですが、このようなカロリー、肉食礼賛のフォイト近代栄養学は今も世界中で支持され、しかも日本では、今も大きな影響を与え続けています。

 

しかし、これまで紹介してきたMレポートやチャイナ・スタディは、この流れに抗して「これまでの近代栄養学と食事は大きな間違いだった」と結論を出したのです。この結論に対してアメリカは大きく変わりましたが、日本は動ぜず、肉食、乳製品が食卓の中心を占めています。

 

このフォイトの近代栄養学とドイツの医学を日本に導入したのは明治政府であり、特に推奨したのがドイツで医学を学んだ森鴎外でした。このドイツ近代医学は戦争、戦場の医学といわれ、ドイツと同じように戦争を繰り返す富国強兵政策の日本は、政策が合致するドイツの近代栄養学と近代医学を導入したわけです。

 

そして戦後、フォイトの忠実な弟子たちがアメリカに渡り、アメリカの栄養や医療に君臨し、戦後、さらに近代化されたアメリカ版栄養学と医学が日本を支配するようになりました。戦後は富国強兵ではなく、所得倍増を掲げて、企業兵士のためにこう唱えました。

 

「肉や牛乳など“栄養豊富”な食べ物を、バランスよく沢山食べると健康になる」という信仰を植え付けたのです。これにより外食産業、スーパー、コンビニ、ファーストフードなどすべて肉中心のメニューとなり、Mレポートで絶賛された元禄以前の日本食は葬り去られてしまったのです。

 

明治時代にフォイト栄養学の盲信で早く世を去ったフォイト犠牲者がいます。それは俳人正岡子規です。彼は結核脊椎カリエスに侵されますが、それを治すのは近代栄養学しかないと肉を中心の食事に徹したそうです。しかし結果的には、満34歳で死にました。

 

明治34年9月2日の正岡子規が書いた日記は次の通りです。

朝:粥4椀、はぜの佃煮、梅干しの砂糖漬け、

 昼:粥4椀、鰹の刺身1人前、南瓜1皿、佃煮、昼飯後梨2つ2時過牛乳1合ココア混ぜて、煎餅菓子パンなど10個ばかり、

夕:奈良茶飯4椀、なまり節、茄子1皿、夕飯後梨1つ。この頃食ひ過ぎて食後いつも吐きかえす。服薬はクレオソート昼飯、晩飯後各3粒(2合カプセル)、水薬、健胃剤。今日夕方、大食のために例の左下腹痛くてたまらず・・・

 

 

これは過食、暴食としかいいようのない記録です。この子規を看病した母親、妹は日本食に徹していましたので、二人とも90歳以上を生きたようです。ドイツから生まれた近代栄養学と医学に盲信して優秀な若き命を落とした正岡子規の悲劇を笑うことができません。なぜなら戦後の日本では同じような悲劇の道を歩んでいるからです。

 

このブログを読まれる方は、正岡子規の食を選択されますか。それとも子規の母親、妹の食を選択されますか。「藤樹の宿」ではいうまでもなく、後者であり、「元禄以前の日本食」を指示しています。ここで子規の母親、妹の食を体験してください。