40日ファスティング経験者の本音!

ファスティング(断食)の素晴らしさやファスティングの正しい方法、効果などを紹介しています。

ファスティング(断食) 初級編  05 明治政府のフォイト栄養学を盲目的導入した悲劇

明治政府はドイツの栄養学者・カール・フォン・フォイトの近代栄養学を全面的にしかも無条件で盲目的に導入しました。

 

その悲劇は、明治の優秀な青年たちを蝕みましたし、日露戦争では大悲劇を生んでしまいました。

 

NHK特別ドラマ「坂の上の雲」でも描かれていましたが、明治の文豪、正岡子規でした。彼は結核にかかり脊椎カリエスを患い、35歳でなくなりますが、その1年前から病状日記「仰臥漫録」を書いて毎日食べたものを1つとしてもらすことなく記録しています。

 

たとえば1901年(M34)9月2日の項にはこう書かれています。「朝・粥4椀、はぜの佃煮、梅干しの砂糖漬け、昼・粥4椀、鰹の刺身1人前、南瓜1皿、佃煮、夕・奈良茶飯4椀、なまり節、茄子1皿。この頃食ひ過ぎて食後いつも吐きかえす。2時過牛乳1合ココア混ぜて、煎餅菓子パンなど10個ばかり、昼飯後梨2つ、夕飯後梨1つ。服薬はクレオソート昼飯、晩飯後各3粒(2合カプセル)、水薬、健胃剤。今日夕方、大食のためにや例の左下腹痛くてたまらず」で9月2日が特別な日ではなく、毎日、このような食事だったようで、新聞社からの給与月40円と俳句雑誌「ホトトギス」より10円の計50円の月収のうち、彼の記録によると、月32円72銭3厘と7割も食費に費やしていたのです。

 

子規の有名な句に「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」がありますが、柿どころではなく、手当り次第食べていた子規の過食を知ると、なんだかがっかりします。

 

このような食べ過ぎの原因が、フォイトの近代栄養学を信じたがゆえの結末だったのです。さらに悲劇は、日露戦争で軍医だった森鴎外が、フォイトの近代栄養学を信じ、野菜、麦飯など退け、白米を押し通した結果、陸軍で約25万人の脚気患者が発生し、約2万7千人が死亡する事態となったのです。

 

戦争ではなく一人の判断ミスでこれだけの命が奪われたとは何と悲劇でしょう。そもそも脚気はビタミン欠乏症の一つであり、ビタミンB1の欠乏によって心不全と末梢神経障害をきたす疾患で、心不全によって下肢のむくみが、神経障害によって下肢のしびれが起きることから脚気の名で呼ばれましたが、ビタミンB1を食物で補給すれば、治った病気でした。

 

鴎外も脚気の原因を探ったようですが、海軍が「脚気栄養失調症説」を唱えていたのに対抗して「脚気伝染病説」説に固執し、科学的な対応をしなかったのです。

 

そもそもこのような官僚に対抗意識で国民が犠牲になるという悲劇を生み出しのですが、これは今日も繰り返される悲劇ではないでしょうか。

 

少年時代から天才といわれ、後に「知の巨人」「万能の天才」とも言われた森鴎外もこと脚気では大きなミスをしてしまいました。

 

私たちも食にかけてミスをしていたのでは物笑いです。正しい食事をしつかり確立することが、「藤樹の宿」の使命です。藤樹の宿ファスティングの効果を体験してみてください。