40日ファスティング経験者の本音!

ファスティング(断食)の素晴らしさやファスティングの正しい方法、効果などを紹介しています。

ファスティング(断食)で救国をー23-日本は肉食信仰を打破できるか

森下敬一医学博士は、ドイツ近代医学を「野戦病院の医学である。確かに1割は救命医療で優れてはいるが、9割の慢性病にはまったくの無力であった」と語っておられます。その9割を治せると患者を騙してとんでもない治療をしてきたのは、まさに医療マフィアの仕業だとまで指摘されています。

 

そしてあのフォィトの近代栄養学もドイツの「野戦病院の医学」に合一する「野戦の栄養学」を唱えたのです。「肉を食べよ、ならば迷わず敵を殺せるぞ」と攻撃的で残虐極まりない兵士を養成していくための学問でした。それがあのナチスの残虐性を生み出したのです。

 

菜食主義を貫くユダヤ人をアウシュヴィッツなど強制収容所に送った残忍性は、肉食信仰を煽ったフォィトの近代栄養学にあるのです。その愚かな肉食信仰は家畜の栄養学とも批判されていますが、その栄養学が、今も日本を支配しているのですから恐ろしいことです。

 

「チャイナ・スタディ」は、肉食信仰=動物性タンパク質信仰に対して、「動物性タンパク質は人には極めて有害なもの」と断定しました。そして日本はこのような肉食信仰を受け入れました。明治政府の富国強兵政策と太平洋戦争の敗北でアメリカにコントロールされ、所得倍増、高度経済成長が肉食信仰をさらに強固にしていきました。日本は長い間、仏教の影響で、肉食信仰ではなく、まさにMレポートが世界最高峰の食事は日本食だと認定した、肉抜きの食事だったのです。

 

しかし、明治以降、文明開化は、すなわちフォイト近代栄養学=肉食信仰を受容したのです。それは高タンパク質、高脂肪、高エネルギー食事の受容でした。それまでの日本は、低タンタンパク、低脂肪、低エネルギーで持続的な健康を維持していたのです。明治政府は狂ったドイツの野戦病院の医学と栄養学を取り入れましたが、同じドイツ人医学者、ベルツ博士(1849-1913)は1876年(明治 9)東京医学校(東大医学部)教師として来日し1905年帰国。その間日本に30年滞在、近代医学の発展に貢献し、脚気の研究や温泉療法とともに草津温泉を広く紹介し、あかぎれ、しもやけの薬「ベルツ水」は今も市販されています。

 

著書「ベルツの日記」に、当時の日本人の体力に驚いたとエピソードが書かれています。ベルツ博士は、東京から110km離れた日光に旅することになり、馬を6回取り替え、14時間かけやっとたどり着きました。もうひとりの人は人力車を使って日光に行きました。すると人力車はなんと30分遅れるだけで、それも交代なしで日光に到着しているのです。ベルツ博士は、人力車の車夫の食事を調べると、玄米のおにぎりと梅干し、味噌大根の千切りと沢庵だったのです。日常食も米・麦・粟・ジャガイモなどの低蛋白質、低脂肪の粗食でした。

 

肉も食べずにこれだけの力が出ることに驚き、そこで、ドイツ栄養学を適用すればより一層の力が出るであろうと、ベルツ博士は食事の実験を行いました。22歳と25歳の車夫を2人雇い、1人におにぎりの食事他の1人に肉の食事摂らせ、80kgの荷物を積み、40km距離を走らせ、どちらが長く続けられるかを試したのです。結果を見ますと肉料理を加えた車夫には、疲労が甚だしく募り3日でダウンし、もとの食事にもどしました。でも、おにぎりの車夫は3週間走り続けることが出来ました。肉の食事の車夫も、食べ物を元に戻すと元気に走れるようになったそうです。

 

この経験からベルツ博士は、「ドイツ医学と栄養学は日本国民には全くあてはまらない。日本人は日本食が最高だ」と明治政府に進言したそうですが、明治政府は、フォィトの近代栄養学を選択し、今日までも続いているわけです。

 

その悲劇が、生活習慣病急増になっています。ゆえにベルツのような指導者が出て、早急に肉食信仰を打破しなければならないのです。肉食信仰を打破するには、喰い改めのファスティング(断食)でリセットするしかありません。