40日ファスティング経験者の本音!

ファスティング(断食)の素晴らしさやファスティングの正しい方法、効果などを紹介しています。

正しい食養生とは何か  02 日本には厳しい食の規定は存在しない

これから食養生について考察していきますが、

テキストは「現代版・食物養生法」(鶴見隆史著)です。

食養の系譜については関心もありませんし、

マクロビオテックのような似非宗教も嫌いです。

ゆえに鶴見医師の本をたたき台にさせていただきます。

毎日食べている食事が私たちの健康か病気かの運命を定めるものとなります。

まさに健康投資に成功=健康を維持、または失敗=病気、

そして早死にになるのかまで決めてしまいます。

ゆえに食事を管理すること、内容をチエックすることが必要です。

そして食のルールを定め、守り、維持すれば、健康を維持します。

また誤っている食事の内容を根本的に修正して、病気を治すことも可能です。

これを鶴見医師は「食養生(または食物養生)」といいますが、

私は食の規定、食の律法だというのが正しいと思います。

なぜなら旧約聖書レビ記では、延々と食の規定が出てきます。

 

レビ記

7:19 汚れたものに触れた肉は一切食べてはならない。これは焼き捨てねばならない。

清い者はすべて肉を食べることができる。

 7:20 しかし汚れた状態にある者が、

主にささげられた和解の献げ物の肉を食べるならば、

その人は自分が属する民から断たれる。

 7:21 人体から生じた汚れであれ、汚れた動物、汚れた爬虫類であれ、

何か汚れたものに触れた後に、主にささげられた和解の献げ物の肉を食べるならば、

その人は自分が属する民から断たれる

 

この食物規定は厳しいもので「民から断たれる」という言葉が何度も出てきます。

日本にはこのような厳しい食の規定は一切ありません。

ですから日本の食養法は、誰かが集大成した自然の経験原則でできたものしか

存在していません。

たとえば貝原益軒(注・01)の養生訓(注・02)がそうです。

おそらく鶴見医師は貝原の使用した養生訓から

食養生」と名付けられたのでしょう。

 

(注・01)貝原 益軒

(1630年12月17日- 1714年10月5日)は、江戸時代の本草学者、儒学者

筑前国(現在の福岡県)福岡藩士、黒田藩の祐筆であった

貝原寛斎の五男として生まれる。

1648年18歳で福岡藩に仕えたが、1656年3代藩主・光之に許され、藩医

藩費による京都留学で本草学や朱子学等を学ぶ。7年間の留学の後、

1664年35歳の時、帰藩し、150石の知行を得、藩内での朱子学の講義や、

朝鮮通信使への対応をまかされ、また佐賀藩との境界問題の解決に奔走するなど

重責を担った。

藩命により『黒田家譜』を編纂。1699年、70歳で役を退き著述業に専念。

著書は『養生訓』を始め、生涯に60部270余巻に及ぶ。

1970年に山本七平日本教徒伝道師だと「日本教徒」で指摘している。

 

(注・02)養生訓

貝原益軒によって書かれた、養生(健康、健康法)についての指南書。

益軒83歳の著作で、実体験に基づき健康法を解説した書である。

長寿を全うするための身体の養生だけでなく、

精神の養生も説いているところに特徴がある。

一般向けの生活心得書であり、広く人々に愛読された。

現代でも岩波文庫、中公文庫、講談社学術文庫など

多くの出版社や原文付き現代語版や口語訳、解説書などが出版されている。

ジョージ秋山による漫画化や、海外向けの英訳もなされている。