40日ファスティング経験者の本音!

ファスティング(断食)の素晴らしさやファスティングの正しい方法、効果などを紹介しています。

玄米菜食 49 玄米菜食リバイバルを起こそう 06 ヨーロッパは肉漬けとなった理由   

アルプス以北のヨーロッパでは、かつては広大な森林に覆われていて、

人々が切り開いて農地としてもその周囲には依然として森林が広がっていました。

しかもその森を形成するのは広葉樹で、楢・樫のように秋になると

多くの実(ドングリ)を付けました。

そして木の実を有効に使える家畜は豚でした。

そこで森の中で春から初秋にかけて、豊富な実を豚に食べさせ、

あとは収穫残渣や、収穫物の中でも品質の悪い部分を飼料に振り向け、

豚を育て、さらに秋の深まった頃に木の実をたっぷりと食べて太らせました。

ただ豚は、反芻動物ではないので草類で飼育できませんので、

周辺の樫・ブナの森林に放牧しておけばドングリで自然に成長出来ますが、

冬場は餌が不足するので、どうしても冬を越すことができないのです。

そこで晩秋から冬にかけて(繁殖用の豚を除けば)、

全て屠畜して保存しなければなりませんでした。

豚には1回に1頭しか出産しない牛・羊と違って

多産(1度に10頭くらい)という利点があります。加えて、

牛は「草だけで飼育すると食べ頃になるのに5~6年かかりますが、

豚は生後6~10カ月で食べ頃になるという飼育のしやすさがありますので

畜産物を単に食べるだけでなく乾燥,塩漬け,薫製することによって

長期保存が可能となりますので、こうした技術によって、

1年を通じて食肉が供給できる

ハム・ベーコン・ソーセージ作りへと繋がるようになったのです。

古代ローマには既に食肉店があり、ハム・ソーセージを販売していました。

一般的に多くの種類のソーセージが、カエサルの時代で

幅広い階層のローマ人・ギリシア人に人気があったのです。

ローマ人は「新鮮な豚肉,白い松の実,クミンシード,ベイリーフ,黒コショウから

作ったソーセージを特に好んでいたのです。

このソーセージが広まり、

ルーペルカリア祭・フロラリア祭と儀式的な関係を持つようになったので、

初期のキリスト教会から非難されました。

このため、キリスト教を公認したコンスタンティヌス1世は

ソーセージを食べることを禁じたほどです。

しかし、古代ローマ帝国滅亡後、ハム・ソーセージ作りの技術は

ヨーロッパ各地に伝わったて、十字軍遠征によってスパイスが持ち込まれ、

それまで人々は

「味も素っ気もない肉を大喰いすることが唯一のご馳走」と考えていたのですが、

そこに調味料としてスパイスを用いたことによって、

ハム・ソーセージの味覚は一変します。

豚は村落の主な収入源の1つとなり、加工・保存技術はますます発展していきました。

そしてソーセージはルネッサンスの頃には今日の原型が出来上がり、

発祥地にちなんだ製品が次々と誕生しました。

また、ベーコンの起源は(一説によると)、

ヴァイキングが活動していたデンマーク

「長い航海用の食料として豚の塩漬け肉が用いられていたのが起源といいます。

塩漬け肉は船上では調理しづらいので、火で炙って貯蔵されるようになったのです。

ところがある時「薪が湿っていてよく燃えないまま炙られた塩漬け肉が

「程良く煙で燻されて良い味がする,以前より長く保存できることが分かって

この塩漬け豚肉を煙で燻したのが、今日のベーコンの原型です。

デンマークでは豚の頭・足・内臓を除いて

縦割りにした半丸枝肉を塩漬け燻煙しました。

これが北欧各地に伝わり様々な型のものへと発展したのが、

中世の間はこの製品に特定の名称はなく、

単に“豚肉の薫製品”とされていたベーコンの名称が

フランシス・ベーコンに由来する、という説もありますが、

イソップ寓話『都会のネズミと田舎のネズミ』の中には

「恐怖を感じている時のケーキとエールよりも、

平和な時の豆とベーコンの方が良い」とあります。

中世ヨーロッパでは“貧しい人の肉”でした。

フランソワ・ラブレーは「逃げさせろ、そしてベーコンを蓄えよ」という

フレーズを作品中で使っています。

イングランド北部のダンモウ修道院では、

修道士が「教会のドアの前で跪く人」

「“1年と1日の間、決して家庭で口論はしないし

『独身だったら』と願ったりもしない”と誓う人」には誰にでも、

塩漬けにした豚の脇腹肉(ベーコン)を与えていたというのですから、

キリスト教は肉漬になっていたのです。