40日ファスティング経験者の本音!

ファスティング(断食)の素晴らしさやファスティングの正しい方法、効果などを紹介しています。

玄米菜食 48 玄米菜食リバイバルを起こそう 05 ヨーロッパで広がった肉食文化の背景 

ヨーロッパでは、麦畑以外の土地は草が自然に生える牧草地です。

自然に生える草は茎がやわらかいため、牛や羊、山羊など草食動物には

格好の飼料となっています。

雑食動物の豚もまた、周辺のカシの木の森林に放置しておけば、

どんぐりをえさにして育ちます。

このように、ヨーロッパは牧畜が大変発達しやすい自然環境にあり、

そのため、森林を開拓して畑を切り開いた日本とは違って、

麦作と放牧が同じ土地で展開できる農法が発展したのです。

家畜は貴重な食料であるとともに、家畜の糞尿から作られる肥料によって

麦畑の地力が回復するというメリットもあります。

このように畑は麦作と放牧を繰り返す穀草式農法が行われていたわけです。

これが発展し12、13世紀には三圃式農法へ。

つまり耕地を春まきの大麦とえん麦、秋まきの小麦とライ麦、放牧の3つに分けて

毎年交互に使うことで連作障害を防ぎ生産効率を高めたのです。

さらには、放牧地には単なる草地から、牛や羊とって飼料価値の高い

クローバー、ルーサン、ライグラスなどが栽培されるようにもなりました。

そして18世紀後半から19世紀にかけての農業革命では、麦栽培のあと、数年は

クローバー、かぶ(飼料用ビート),てんさい(砂糖生産用)、じゃが芋、

とうもろこし、えんどうなどを栽培して、また麦に戻るという輪作が行われました。

こうした麦以外の作物は牛や羊の飼料にも回され、特にじゃが芋は豚の飼料となり、

家畜の生産向上に役立ったのです。

ヨーロッパでの肉食を大きく変化させたのがアジアからの香辛料、

特にこしょうの輸入です。腐敗防止と食味の点から、

こしょうは肉を食べるときに欠かせないものとなり、

中世の金貨とさえいわれるほどの高価で貴重なものでした。

この香辛料をインドから直接入手することをきっかけとして、

15世紀から大航海時代が始まりました。

香辛料が気軽に使用できるようになると、ソーセージに加工して保存する方法も

一般的になりました。

そして、新大陸発見でもたらされたじゃが芋栽培が北ヨーロッパに広がり、

飼料事情が好転して豚の越冬飼育が可能となります。

19世紀後半には、冷蔵技術の進歩等によって本格的な肉食の文化が開花、

肉食の安定期を迎えるわけです。ヨーロッパの人々にとって、

長い間、肉は貴重な食料であったため、その食べ方もむだなく徹底しています。

頭から尾まで、骨や脳、内臓、血液に至るまで余すことなく食用としました。

また、保存加工食品としてのハム、ソーセージ、ベーコンなども

多彩に作られてきました。

ヨーロッパは、元々穀物栽培に不適な地域でしたから、

食肉を食べる食文化が発達したのです。

そこでは、人間が食べることのできない自然の草類を、

反芻家畜(例:牛・羊・山羊)に食べさせて飼育し、

人間はその畜産物を食用としたからです。

「畜産物を多く食べる食文化は、豊かで生活水準が高い」と考えられがちですが、

ヨーロッパでは、直接食べられる植物が少ないのでそれを補うという目的だけでなく、

その食用作物を少しでも多く生産するために

「貴重な肥料=糞尿を生産してくれる家畜が必要だった」という事情があったのです。

ヨーロッパの気候を大きく分けると地中海沿岸は乾燥気候であり、

冬に雨が降るものの雨量は少ないし、

アルプスを越えれば乾燥は和らぐものの温度は低くなります。

イギリス・デンマークにもなればさらに寒さは厳しくなるために

家畜の飼料となる草も、北に行くほど生産力は低くなります。

暖かければ草の成長も早く、飼料を確保しやすいし、

繁殖用家畜を飼う余裕もできます。しかし気候が厳しければその余裕は少なくなります。

そして家畜の命を奪うことなくそこから食料を得ようとするならば、

肉ではなく乳を利用することになりますので、

ヨーロッパでは、北に行くほど乳製品が多くなるのです。