40日ファスティング経験者の本音!

ファスティング(断食)の素晴らしさやファスティングの正しい方法、効果などを紹介しています。

少食ファスティングの基礎 玄米菜食 53 玄米食の基本 44  玄米菜食 マクロビオティック 09 マクロビ(マクロビオティック)とは何か 02

桜沢如一さんを紹介したいと思います。彼の生き方を通して、マクロビの本当の素晴らしさが伝わるのではないかと思うのです。桜沢如一(1893.10.10~1966.4.24)

マクロビオティックの提唱者で、海外ではジョージ・オーサワの名で知られています。

ゆきかずと読み、若い時はじょいちと呼ばれていたそうです。

1893年(明治26年)に京都市で生まれました。

如一は元々身体が弱く、赤ん坊のころから病弱で何度も死にかけたそうです。

名家の出身ながら山奥暮らしを嫌った父は京都に出て警官になったが浪費癖が強く、

如一が6歳の時に家を飛び出してしまいます。

母は10歳の時に肺病で亡くなり、

その後他人の家に預けられて丁稚奉公のような生活をしながら勉学にいそしみます。

苦労を重ね商業高校に在学中の19歳の時、亡くなった母と同じように肺結核になり、

血を吐き、医者にすすめられた治療費など貧しい如一には到底工面できず、

死の瀬戸際にあった如一が、何とか自力で治す方法がないものかと

図書館で探している時に出会ったのが、

陸軍の薬剤官 石塚左玄が創設した食養論です。この本との出会いが、

如一の人生を多く変えます。

そう、これこそが、マクロビオティックが誕生した瞬間です。

ワラをもすがる思いで本に書かれている通りの事を、

実践すべく、和歌山の新宮で療養する事になります。

食養論とは玄米を中心とした粗食です。

玄米ご飯とごま塩、味噌汁など一日一食の粗食を10日間ほど続けただけで吐血はおさまり、

身体が軽くなり、日に日に健康が回復していくのを感じたそうです。

それまで如一は、母が死んだ原因も自分が病気になったのも、

すべて貧乏からくる栄養失調だとばかり思っていました。

母は、子供の頃から身体の弱い如一の為に、

当時流行の西洋の栄養学を信じて栄養のあるものをということで、

毎朝洋食を食べさせていたのです。

如一は、あまり栄養がないような粗食でなぜ健康になったのか不思議に思い、

この命を救ってくれた食養論に傾倒していきます。

それでは石塚左玄の唱えた食養論とはどのようなものなのか見てみましょう。

桜沢如一 100年の夢(アートヴィレッジ社出版)を参照・・・

 

 

【解説】

マクロビの元祖である桜沢如一の前半生の紹介です。

石塚左玄の食養論で出会い人生は大きく変わります。

マクガバンレポートがすべての病気の根源は、食事にあると断定し、「食源病」と命名したのですが、

石塚は明治の文明で西欧の医学や栄養学に大きな問題を見ていたのは正しい判断でした。