40日ファスティング経験者の本音!

ファスティング(断食)の素晴らしさやファスティングの正しい方法、効果などを紹介しています。

断食救人類の書 259 少食は救国、救人類となる 45 生命への畏敬 02

生命への畏敬は現在、公立学校教育の道徳の時間に

「いのちの教育」として取り上げられている項目ですが、

このルーツ、アルベルト・シュバイツァーに原点を求めることはありません。

もちろんミッションスクールでは教えているでしょう。

さて、「生命への畏敬―アルベルト・シュヴァイツァーの生涯」でこのような記事があります。

 

・・・1935年。シュヴァイツァーは、ランバレネに5度目の滞在をする。

この頃には、黒人たちは皆、ドクトルや夫人、

そして病院で働く医師や看護師たちの献身的な姿の中に「畏敬の念」を感じ取っていた。

彼らは「なぜ殺したり、盗んだり、復讐したりしてはいけないのか」を理解し始めた。

彼女たちは、出産時に母親が亡くなった孤児たちを引き取って育てることを始めた。

以前のように、母親が死んだのは呪いだと言って、

その子たちを死なせるようなことをしなくなった。

「生命への畏敬」は、イエスの愛そのものであったのである。

シュヴァイツァーにとっては、「生命への畏敬」とはあらゆる生命への畏敬を意味していた。

彼は乾期に夜空に向かって焔(ほのお)が高く上がるのを見ると、心の中で苦しみを覚えた。

黒人たちが新しい農園を作るために倒した樹木を燃やすのである。

しかし、その火の中で多くの動物が死ぬことを考えるとたまらなかった。

「でも、ドクトル」。黒人たちは、彼の心中を察しながらも言った。

「われわれの農園を作らなくては、われわれが死にます」。

確かにそうだった。

彼は暗黙のうちにそれを認めた。

「真に人間が偉大であるのは、彼が味方し得る一切の生命を助けるという強い促しに従い、

何らかの生命あるものに害を加えることを避けるときにおいてのみである。

生そのものが人間にとっては神聖である。

1枚の葉も木からもぎ取らず、1本の花も折らず、1匹の昆虫も踏みつぶさないように注意する。

真夜中にランプで仕事をするとき、

昆虫が1匹、1匹と羽を焼かれて机の上に落ちるのを見るよりは、

むしろ窓を閉めて重い空気を吸うのである」。

彼は著作の中で述べた。

病院設立以来、彼は自分が責任を持つ区域内ではどんな動物も殺してはならないと命じていた。

そして、傷ついたり、孤児になったりした動物を病院につれてきた者には、

贈り物で表彰することにしていた。

こうしたことから、病院一帯は野生動物の「動物園」になっていた。

これらの動物をシュヴァイツァーは子どものように可愛がったのである。

机に向かう彼になでてもらうのを待っているカモシカ

猿、コウノトリペリカン、3匹のヤギ、ゴリラ、ヤマアラシ、白フクロウもいる。

ジュローという名のチンパンジー、セブリーヌとジョゼフィーヌという

雌イノシシなどで部屋はいっぱいだった。

「でも、人間はどうしても生きるためには時として

他の生き物の生命を奪わなくてはならないでしょう? そういう時はどうするのです?」

あるジャーナリストの問いに彼は答えた。

「その時は、本当にそれが必要なのか――

人間は絶えず吟味し、決断を下すべきです。

這い寄ってくるクモを踏みつぶすとき、正しいことをしていると確信できるか?

動物の生体解剖もそうです。

1匹の犬やイルカに加えられる苦痛は、人間に役立てるために本当に必要なのか?

1匹の動物の苦しみによって得られる学問の進歩は、果たして正当化されるだろうか?

――そういうことを常にわれわれは神と良心の前に正さねばなりません」