40日ファスティング経験者の本音!

ファスティング(断食)の素晴らしさやファスティングの正しい方法、効果などを紹介しています。

断食救人類の書 260 少食は救国、救人類となる 46 生命への畏敬 03 

第二次世界大戦が終わって5年後の1949年、

シュヴァイツァーは夫人を伴って米国コロラド州アスペンに到着しました。

さらにこの記事では、

 

・・・「ゲーテ生誕200年祭」を記念し講演してほしいと招かれたのである。

ここで彼はスペイン、フランス、ノルウェー、イタリア、オランダ、米国の

著名な科学者、哲学者、詩人と交わり、友好を深めることができた。

彼はゲーテ講演をフランス語で行い、2日後にはドイツ語で行った。

終わったとき、数百万もの人々が彼を一目見ようと楽屋に押し寄せた。

彼らにとって、すでにアルベルト・シュヴァイツァーは1人の講演者ではなく、

生きる希望をもたらす者、荒野から出て来た預言者そのものであった。

戦争に引き裂かれたシュヴァイツァーが70歳になったとき、

激務の中にあってわずかな休息も取れない彼を慰めようと、

BBC放送はある企画をしました。

その日も、聖日であるにもかかわらず、押し寄せる患者の診療に追われ、

昼食も取らないまま夜まで彼は病院に残っていました。

そして7時になったとき、

突然スピーカーからシュヴァイツァー自身が弾くバッハのオルガン曲が流れ出し

、司会者が彼の伝記を語り始めたのです。

まさに、最高の誕生プレゼントでした。

彼はどんなにうれしかったでしょう。

この後、彼はいつものように深夜まで著述をし、

イノシシやカモシカ、猿、そして3匹の犬と3匹の猫と共に戸口のそばで眠ったのです。

今や「生命への畏敬」の思想はヨーロッパ全土からアジアにも流れ、

米国のコロラド州で彼が講演したときには、

何百人もの人々が彼を一目見ようと会場に押し掛けたそうです。

まさに、荒野から出て来た預言者を見るために、人々が集まってきたように。

国々は今1つとなり、「生命への畏敬」の思想の種は確実にその芽を出したのであった。・・・

 

生命の畏敬は、シュヴァイツァーが体験した信仰、思想そのものです。

ですから神を知り、出会い、神の子イエスを愛する信仰によらないと

本質的には理解できない思想であることが分かります。

日本社会は戦後、生命の畏敬の真逆を選択しました。

太平洋戦争を二度と繰り返してはならないと新しい憲法ができたのですが、

敗戦後の日本は経済成長優先政策を選択し、高度経済成長をひた走るようになります。

そこから人間の生命無視の公害が続出します。

私の実家は四日市市の近くの農村部でしたから、

コンビナートからでる異臭で自然が破壊されていくのを体感していました。

そして農業は近代化の名のもとに農薬が大量使用されていきます。

また実家は養鶏農家でしたが、その飼料には大量の抗生物質が使用されていました。

こうして生命への畏敬への軽視どころか唾をかける生き様は、

様々な事態を招いていくことになります。