40日ファスティング経験者の本音!

ファスティング(断食)の素晴らしさやファスティングの正しい方法、効果などを紹介しています。

武士道が生まれた背景  24 私の中の武士道 03 内村鑑三と弟子たちの武士道

新渡戸稲造の武士道を紹介する前に

武士道発刊の5前に発刊された内村鑑三の「代表的日本人」を2回連続、書きましたが、

内村鑑三は69歳の誕生日を過ぎてから心臓病で召天します。

その最後の聖書講義のタイトルが、柏木の聖書講堂で語ったのは、

パウロの武士道」(昭和5年・1930120日)でした。

内村の生き方のすべてが、武士道であった何よりの証拠といえます。

そして彼の唱えた無教会主義もまさに武士道だったのです。

同年、326日の内村の古希感謝祝賀会には本人は出席できず、

長男祐之が挨拶し、328日朝、召されました。

最後の言葉は、

「人類の幸福と日本国の隆盛と宇宙の完成を祈る」と

死の苦しみの中から最後の言葉を発したといいます。

それを聞いた内村の高弟の一人、藤井武は、

 

「宇宙の完成!多くの人はそれが何を意味するかをさえ解しません。

それほど大きなことであります。

その事を臨終の床において祈って死ぬとは、実に偉大な魂でありましょう。

私どもはアフリカのために祈って死んだリブングストーンを知っています。

敵のために祈って死んだステパノを知っています。

けれども宇宙のために死んだ人のあることを聞きません。

ひとりわが先生の霊魂は死の岸においてすべての造られし物、天地蛮勇の呻きを憶いました。

そしてそれらの一切のものがその普遍的な悩みから解放されて、

神の子の限りなき栄光にあずからんことのために、同乗の祈りを捧げました」

と感想を書いています。

 

そして内村は、古希の祝いの赤飯を2口ほど食べてからこのように言って召されたのです。

「これが最後であってもよし、また二度三度あってもよし、しかし、

古希の祝いに強飯を食べて死ねば日本武士としてこの上なし」と。

 

まさに内村の発した最後の言葉は「日本武士」でした。

そして内村の生き様は「武士道」にあったのです。

ゆえに武士道としての無教会精神が生み出されたのです。

内村の無教会形成は、高島市中江藤樹のような塾の形態をとったのも

武士道精神から出たものです。

そして内村の死をもって、内村聖書研究会は解散(内村の遺言による)し、

生涯のライフワークであった「聖書の研究」は、357号をもって廃刊となりました。

以後、無教会の伝道者はすべて武士道方式を継承しています。

私の信仰の師であった

高橋三郎(新約聖書学者・独立伝道者、愛真高校創設者、「十字架の言葉」誌発行者)、

関根正雄(世界的な旧約聖書学者・伝道者、「預言と福音」誌発行者)

も内村と同じように集会解散、そして伝道誌も廃刊となっています。

このお二人の語られた著作を見ましてもやはり武士道に生きた方たちでした。