40日ファスティング経験者の本音!

ファスティング(断食)の素晴らしさやファスティングの正しい方法、効果などを紹介しています。

超少食実践者コルナロ語録・解説 02 飽食の果てに

【コルナロ語録 02】
私は放縦(飽食三昧)を止めた理由は、深刻な病気に陥ったからである。
それまでの私の食習慣は不節制(飽食三昧)の一語に尽きた。
その結果、胃がおかしくなって、しばしば激しい痛みに見舞われた。
そして間もなくすると痛風が出てきて容態がさらに悪化し、微熱、喉の渇きがともない、
しまいには生きる望みも断たれるほどになったのである。
この状態が35歳から45歳まで10年間、続いたのである。
この間、あらゆる治療法を試みたが、どれも無駄であった。
そこであらためて医師団に相談したところ「食を厳しく節すること」以外にはないということであった。
しかもこれを実行しても厳格に守らない場合、数ヶ月には死ぬであろうということであった。
この最後通告を聞いて、私は戦慄に襲われた。
人生の盛りに死ななければならない口惜しさ、たえず数々の病にさいなまされて苦しさから、
この医師団の忠告に従うことを決意した。
そして断固決意するやいなや、具体的に守ることを聞くと、
「食べ物も飲み物も、通常の病気の時しか摂らない物を摂り、しかもこれを極少量にすべきである」
というものであった。
 
(83歳の講和-01「無病法」25-26頁から)
 
 
【解説 02】 
コルナロほどではありませんでしたが、私(藤樹の宿代表安田藤嗣)は、1993年まで飽食の生活でした。
1977年から保険の代理店を経営していました。
特に1988年からのバブルでは経営戦略(都市銀行とタイアップビジネス)が大当たりして、
億単位の収入を得て、それを維持しようと東京に出店し、毎日、銀座で接待に明け暮れ、
まさに飽食三昧だったのです。
私の場合、コルナロとは違い、家庭の問題で断食に導かれました。
特に韓国の断食祈祷院に行ったことは人生最大の出来事でした。
この出会いで断食に生涯を賭けようと思ったのです。
そして断食を1993年3月10日に生まれて初めて行いました。
この断食がなかったら、私は確実に生活習慣病で若死にしていたことは間違いありません。
東京では昼食は、新宿西(そこに事務所があった)の高級中華街で、夕食は銀座の高級料亭で接待と飽食三昧。
しかも、鉛筆以上の重いものを持ったことがないという運動不足の日々でした。
私はちょうど43歳の時でしたが、私の最初の断食が終了した翌月の4月1日、
20年近く連れ添ってきた1歳年下の妻が心筋梗塞で急死したのです。
まさに私の身代わりのような急死でしたが、
その妻には20名近くいた保険代理店事務所を閉鎖して、
断食施設を建設したいと話していたところでした。
断食との出会いはその後の私の人生を一変させてしまうことになりました。
そして韓国式の断食施設を与えられるように祈っていたところ与えられ、
21年間、そこで断食祈祷院を運営しました。
しかし、断食を極めていくと韓国式断食施設運営では限界があることが分かってきました。
その限界を突破したのが、まさに藤樹の宿で、今、実施している超少食ファスティングです。
コルナロが初めて極少食に相通じることが次第に分かってきました。