40日ファスティング経験者の本音!

ファスティング(断食)の素晴らしさやファスティングの正しい方法、効果などを紹介しています。

超少食実践者・コルナロ語録・解説 17 長寿の素晴らしさ

【コルナロ語録 17 】
 
また私への反論としてこのように言う者がいる。
 
「我慢して長生きするよりも、太く、短く好きなように生きたいのだ」と。
 
しかし、長寿の価値は正しく認識されるべきである。
 
実際に良識ある人ならば、その長寿の素晴らしさを認められているのである。
 
これは神様の素晴らしい贈り物を軽んじる者は人類にとって禍いであり、
 
彼らの死はむしろ公共にとって幸いなこととはいえない。
 
さらに食事の数は1日1回にしている者がいても
 
それは満腹まで食べる者がいることだ。
 
これも消化という点で適切でない。一度に大量の飲食物を摂ると、
 
胃はこれを消化できない。
 
むしろ悪気を生じ、血液を濁す結果となる。
 
それゆえに1日1食とはいえ、満腹まで食べた者が長生きしたことはない。
 
このように反論する者が、1回の食事を減らしていたならば、
 
食べる回数を増やしていても健康で長生きしていただろう。
 
 
 
真にまことに聖なるかな
 
節食(超少食)よ
 
この節食(超少食)こそ
 
人をして長寿をもたらし
 
その知恵を磨き
 
その知恵によって
 
あなた自身を官能の罠から救う。
 
あなたは死の恐怖から
 
多くの人を解き放つことができる
 
あなたであればこそ、人はこの真理を知ることができる
 
 
 私は老年に至るまで、世界がこれほど美しいものとは知らなかった。
 
若い時に放縦な生活をしていて、
 
今、見ているようなこの世界の素晴らしにまったく気づかなかった。
 
しかし、完全な健康を享受している今、状況は昔とはまったく違っている。
 
毎日食べるパンにしてもかつての贅を尽くしたパン(主食)よりも、
 
質素なパンほど、人間の食事にとって大切なものはない。
 
86歳の講和-02「無病法」6768頁から)
 
 【解説 17 】
コルナロは聖書を相当、読みこなしていますし、とくに詩編や知恵の書を愛読していたに違いありません。
ここの書かれている詩は聖書の詩編に刺激されて書いたものでしょう。
そして超少食を神の恵みとして深く受け止めています。
いやそれどころか超少食は、神の戒めとして受け止めています。
ですから40台半ばでまさに喰い改めてから、
102歳までまったく一寸も揺らいでいません。
それは神からの命令として明確に捉えているからです。
超少食は神から贈り物だという告白も深い聖書の信仰に基づいています。
また「年に至るまで、世界がこれほど美しいものとは知らなかった」というのも
コルナロの言葉は相当、深い極みを知った聖書の霊的な思想なのです。
身体も心も研ぎ澄まされてきた領域であるからこそこのような言葉になるのです。
藤樹の宿では聖書の写経、そしてバイブルスタディなど聖書の学びを通して、コルナロの領域にいくように手引きさせていただきます。
また、藤樹の宿の代表、安田藤嗣の「バイブルランドin高島」をお読みいただければ、
聖書は自分でよむことができるようになります。そのように配慮して書かれています。
私たちはここまで行かないとほんもののファスティングには到達できません。
このブログ「修道院の断食」で書かれていたことを想起しましょう。
 
「断食はパラドックスそのものを、つまり相反するものを内にかかえている。
喪失することで獲得し、減少によって得るものが増える。
より少ないことがより大きくなる。あらゆる時代を通じて、
多くは儀式の形をとって行われてきた禁欲の行為は、
人類遺産のなかでも欠かすことのできない知恵のひとつである。
その禁欲の関門を通るとき、人間は新たなる力を手にするのだ。」
(2017/7/13のブログ「修道院の断食 01 断食はあなたを自由にする」)