40日ファスティング経験者の本音!

ファスティング(断食)の素晴らしさやファスティングの正しい方法、効果などを紹介しています。

断食指導30年のあゆみ 32 本物の断食とは何か 14 修道院の断食から生まれたビールファスティング

中世カトリックも厳格にファスティングしていたのではありません。

昨日、書きましたようにカトリックの教会法で定められた

小斎を拡大解釈していきます。

そして修道院ではファスティング期間中の抜け道をいろいろ模索し、

考える修道会が生まれてきたのです。

ある修道院の司教は狩りが大好きで素晴らしい鹿を仕留めたそうです。

するとその鹿を池に放り投げて、やつは泳いでいるので

「鯉なのだ」と言って、ファスティング期間中には魚はよい

という規定を逆利用したという笑い話のようなエピソードがあるようです。

更に手の込んだ教会規定の逆利用が生まれてきました。

それは「ファスティング期間中は飲み物はいくら飲んでもよい」ことを活用して、

特別な飲み物を考えたのです。

それがドイツを中心にした「修道院ビール」です。

そして修道会の名をついたビールが続々と誕生していきます。

フランシスカーナ、パウラーナ、アウグスティーナなど

いくつかの名が今でも残っています。

それはドイツを中心にした多くの修道院が、ワインの醸造技術を用いて、

食事がとれない年2回の40日断食期間に飲むようにしたのです。

それがビールの技術が高度に発達していくことになります。

そういえばビールはホップを除けば、パンと同じ原料です。

水と穀物イースト菌です。

これを醸造すればビールとなり、完全に食欲を満たすことになります。

日本のビール酒造組合のサイトには次のようなビールの歴史が書かれています。

「中世になると、ヨーロッパでは、

上等なビールが修道院でつくられるようになりました。

当時の知識人であった修道士や僧侶たちは醸造知識にも優れ、

香味剤である「グルート」を使ってビールをつくりました。

この頃のビールは、栄養補給や医療にも利用されていたようです。

ところが、11世紀後半になると「グルート」の中でも「ホップ」を使用した場合に、

ビールの品質が飛躍的に向上することがわかってきて、

このビールが次第に広まっていきます。

13世紀には、修道院のグルートビール

都市のホップビールの間で激しい競争を巻き起こすことになりました。

15世紀以降、都市の発展とともにギルド制が定着するに至って、

ビールの醸造は次第に市民の手に移るようになっていきます。

ビールが市民に広く愛飲されるにしたがって、

醸造技術に次々と改良が加えられ、ビールの品質はより向上していきました。」

 

パウラの聖フランシスコ修道会は非常に厳しい戒律で有名な修道会ですが、

毎年四旬節の断食開始の日に聖フランシスコのお祝いに何かをしようとなり、

知恵をしぼったあげく、あの厳格な修道士たちが

実に濃度の高い高技術のビールを編み出したというのです。

ミュンヘンの宮廷醸造所よりも強いビールだったようで、

その名は「ドッペルボック」といわれます。

宮廷醸造所の名が「アインボックビール」といい、

アルコール度も2倍の強いものであったことから命名されたようです。

そして何とこの修道会は、このビールに聖フランシスコの名をつけ

聖フランシスコのオイル(油)」

または「修道会創立者聖フランシスコの油」という商標名をつけたのです。

当時のワーマール公国の高官であった文学者ゲーテは、

「最初がぞっとしたが、1週間も飲み続けていると手放させなくなる」

と書いています。

私は私見ですが、

ドイツの修道会がこのようなビール開発にしのぎを削ったがゆえに

修道会の乱れが始まったと思います。

ルターが宗教改革を起こした原因になっていったかもしれません。