40日ファスティング経験者の本音!

ファスティング(断食)の素晴らしさやファスティングの正しい方法、効果などを紹介しています。

甲田療法の原点復帰 01 ショック!甲田医師を八尾市民が誰も知らない

藤樹の宿を開設して2020年6月で5周年を迎えます。

藤樹の宿の来会者の多くは大阪府の方が多いのですが、

中でも驚いたのは藤樹の宿が提唱します、

「超少食ファスティング」を気づかせていただいた甲田光雄(注01)を

大阪府民もましてや甲田医院があった八尾市民が

誰一人として知らないということでした。

これまでわずか5年間に藤樹の宿に来られた方だけなので限られているとはいえ、

大変、ショックだったのです。

藤樹の宿は医師が運営している断食施設ではありません。

しかし、甲田光雄医師の書かれた多くの本をベースに運営していますので、

5周年を記念にもう一度、甲田療法の原点に戻りたいと連載を開始します。

 

(注01)ウィキから

甲田 光雄(1924年8月1日 - 2008年8月12日)は、日本の医師、医学博士。

元・日本綜合医学会 会長。元・甲田医院(閉院)院長。断食療法の推進者で

難病治療に目覚ましい効果を上げた内科医である。

甲田光雄は幼少期よりスポーツ万能で、旧制中学では相撲の選手で

主将を務めるほどであったが、中学3年の時、慢性の胃腸病に罹り2年間休学する。

中学5年生時には重症の黄疸で3か月寝込み、急性肝炎を発症する。

その後、甲田は快癒しないうちに陸軍士官学校へ入学して、

後にその肝炎は慢性肝炎へと移行してしまう。

戦後、甲田は大阪大学医学部に入学するが、

胆囊胆道炎、十二指腸炎、大腸炎、など厄介な病気に次々とかかってしまう。

それで、大阪大学病院へ入院し、治療を受けるが病状はあまり改善せず、

一進一退を続ける。最後には、頼りにしていた大阪大学病院の主治医の教授から

「いつまでもここにいるよりは、家に帰ってのんびり養生したほうがいいよ」と

見放され、甲田は日本の現代医療に大きく失望する。

やがて、甲田は現代医学以外の民間療法や東洋医学へ目を向けるようになる。

学友から、築田多吉の『家庭に於ける實際的看護の秘訣』を見せてもらい、

「肝臓病は断食で治る」という一文を見つける。

そこから、甲田は断食に興味を持ち始め、

周囲の反対の声を振り切って奈良県生駒山の断食道場へ行き、

11日間の断食を体験する。

この断食寮で西勝造の著書『西医学断食法』に出会い、

その本を読んで自分の病気の疑問が解消したと感じる。

その後も断続的に断食を体験し、繰り返すうちに

慢性的になっていた病気は徐々に快方へ向かい、

5年もたったころにはすべての病気が自分の体から消えて、健康な体になる。

甲田は、「西式は単なる健康法ではなく、

経済と科学優先の医学界を軌道修正させる革命医学である」と言い切っている。

1959年(昭和34年)、甲田は大阪府八尾市に甲田医院(内科・小児科)を設立する。

そこで、甲田光雄は、西洋医学を修めた医師であるにもかかわらず、

薬も出さない、注射も打たない医師となり、

西式健康法」を基本に、菜食の少食療法である

「西式甲田療法」を患者たちに次々に実践した。

指導経験の中で甲田は

「本来生物は生命の維持に必要最低限の量の食糧しか食べなくてもよいように

体ができている」と実感する。

また、現代人の病気の原因は、そのほとんどが

「食べ過ぎ」であると考えるようになる。

その食べすぎが、腸の中で「宿便」となって溜まっていき、

あらゆる病気を体に引き超こす。

その腸の中に長年溜まった宿便さえ体外に排出すればどんな難病も治癒すると

主張する。

甲田は一定期間、水だけしか飲まない本断食を、

1950年から1955年までの5年間に10数回、1969年には23日間の断食を行った。

本断食をすると、体中に痛みや熱が出るなどの激しい好転反応が出て、

現代医学では治せない難病が劇的に好転するが、

そのコツを会得するために甲田は多くの本断食を繰り返した。

そして、この厳しい断食を誰でも安全に、楽して行えるものに甲田が

長年、考え着いたのが、毎朝、朝食を抜くだけでよい「半日断食」であった。