40日ファスティング経験者の本音!

ファスティング(断食)の素晴らしさやファスティングの正しい方法、効果などを紹介しています。

玄米菜食 13 玄米菜食の玄米は、日本でどう評価されているのか 10 マクロビアンの限界 

辞典(ウィキ)の引用が長くなりましたが、マクロビを代表とする玄米菜食者は、

鶴見医師の試案では、日本国民の0.1~0.2%と見ておられ、

1000人に1人なので13万人から25万人の範囲ということになります。

玄米菜食は体に良いということを知られているには

あまりにも少ない実践者の数字です。

それは白米が美味しすぎるのだと鶴見医師は指摘します。

特に外食、コンビニ弁当や給食、社食もすべて白米です。

それは柔らくて美味しく、誰も外食に使用しないのです。

そして玄米の食べ方に大きな間違いがあり、

むしろ有害な食ともなっていると鶴見医師は指摘しています。

そのために玄米アレルギーになり、

途中で投げ出すという方が多いということです。

私は高校から結婚するまで玄米菜食でした。

私の学んだ愛農学園農業高校が、玄米食であり、

私の学んだ農家実習先も東城百合子さんの唱える穀物菜食でしたから、

自宅に戻ってからも結婚するまでの約10年間、玄米菜食でした。

また私の母親も協力的で弁当は大半、母の玄米弁当でした。

私はいなべ市役所に勤務したことがありますが、もちろん玄米弁当は私一人で、

ものすごく珍しいものをみるようなものでした。

農村都市でそれですからいかに玄米菜食が

特殊であったことかはかり知ることができます。

そして遠隔恋愛の末、婚約者した女性がいましたが、

彼女は東京で看護師をしていましたので、

そこまでよく自動車でデートに出かけましたが、行ったのは

まだスタートしたばかりの多摩ニュータウンの「すかいらーく」という

ファミレスでしたが、当然、白米が中心でした。

そして結婚後、保険代理店の仕事が忙しくなり、ほとんど外食でしたから、

いつの間にか玄米菜食は遠のいていきました。

また子供もできて次第に家庭でも白米が定着化していきましたので、

私は完璧な白米中心の食生活に戻っていました。

そして玄米食は何と2005年まで28年間、遠のいたものだったのです。

しかし、2005年、豊田市(当時は足助町)で断食祈祷院を運営していたのですが、

それまでの10年間は、酵素断食を展開していました。

そこにマクロビアンのバリバリで、熱海断食道場で働いていた

青年がここで神に触れられて、献身することになり、

マクロビの方式を知ることになりました。

そこで私はマクロビに関する本をかなり読みましたが、

すぐさまマクロビアンの限界が分かりました。

まずマクロビは陰陽の法則を唱えているので

キリスト教とは相いれない思想、宗教であること。

また、東城百合子さんの玄米菜食と異なること。

そして甲田光雄医師や鶴見医師の本でマクロビの限界を知りました。

したがってこの青年の学んできたマクロビは、

断食の回復食としては取り入れましたが、ファスティングには用いませんでした。

また、私もマクロビ食はしませんでした。

まず、玄米そのものの炊き方に疑問を持ったこともあるし、

マクロビでは栄養が偏ることも分かったからです。

そして玄米も炊き方次第では害毒にもなることが分かってきましたので、

2005年から少なくとも10年間、白米中心の食を続けました。

しかし、豊田市を脱出する時にもう一度、

甲田光雄医師や鶴見医師の本を徹底的に読み直し、

超少食ファスティングを実践するには穀物菜食の原点に戻ることにしました。