40日ファスティング経験者の本音!

ファスティング(断食)の素晴らしさやファスティングの正しい方法、効果などを紹介しています。

玄米菜食 01 1423・玄米菜食とファスティングが、藤樹の宿で誕生するまでの道程  01 玄米菜食との出会いは愛農高校から 

私は1950年(昭和25年)生まれで今年、71歳になります。

農家に生まれましたが、ある理由で工業高校進学を止めて、

私立の愛農学園農業高校3期生として入学しました。

全寮制でしかも無教会系のミッションスクールです。

ちなみに現在、私立農業高校は全国でたったこの1校だけで、

現在、有機無農薬農業を柱にしているのも愛農高校しかありません。

そして全寮制の食事はほぼ玄米に近い8分づきが主食で、

副食は農業高校なので野菜などすべて自給でした。

小遣いは月1000円でしたが、私は無教会創始者である内村鑑三全集を

毎月、定期的に2冊も買っていたので、残り200円しかなく、

担任の先生のお宅に土曜日の家庭集会でおはぎを食べるのが唯一の楽しみでした。

ここのお宅はとにかく子だくさんで、

山盛りのおはぎなどのおやつがたくさん出たのです。

そしてこの家庭は、玄米菜食でしたから、

そこで全国を駆け巡って玄米菜食普及活動しておられた

東城百合子さんの著作に出会い、私が玄米菜食の実践方法を知ったのです。

高校を卒業後、玄米菜食を継続していくことになりました。

そして東城百合子主筆の「あなたと健康」誌の読者になりました。

ですから玄米菜食と出会ってから、今年で55年間になります。

そして玄米菜食は最初の結婚生活開始(27歳)まで約10年間、続きましたが、

それから15年間ほど遠のいてしまいます。

保険代理店の仕事が拡大し、外食中心となったからです。

そして断食祈祷に43歳の時に出会います。

それをきっかけに私は料理に目覚めますが、

本格的な玄米菜食の料理には至りませんでした。

断食祈祷院の仕事が一段落した2005年にスタッフの一人が、

熱海断食道場で玄米菜食の別の流れであるマクロビオテックで訓練されていたので、

再び、玄米菜食が復活しました。

ただマクロビオテック(以下、マクロビ)を調べていくと

これは偶像支配の原理宗教と化していることが分かりました。

1995年にオープンした断食祈祷院では2年後から

酵素ファスティングを開始していましたので、

2005年から酵素ジュースファスティング

マクロビを合体したファスティング施設

「愛知断食センター(AFC)」を立ち上げました。

1泊4500円という設定をしたサイトを立ち上げたところ、

過食症の娘さんたちが多く来会されるようになったのです。

なぜならば、過食症の娘さんたちは1日で

7000円以上に食物を食べては吐いていたからです。

ですからAFCならば4500円で山の中で隔離されているので、

このような食の誘惑から逃れられるということから、

全国から来るようになったわけです。

そしてファスティング酵素ジュースでしてもらい、

回復食はおかゆで最後の日は、

マクロビ食にして帰宅していただくというコースにしました。

しかし、このスタッフが問題で、

マクロビの基本であります玄米や料理方法があまりにもずさんで、

特にこの時の妻はあまりにも不衛生でマクロビ食を一切、食べなかったのです。

またマクロビは、病気手当も実践していますので、

本人は2005年に子宮がんになって、

マクロビと手当で治そうと私もスタッフも強く勧めましたが、

一切を拒否してしまいました。

よほどこのスタッフを信じられなかったのか、

それとも不衛生すぎて呆れ返ったのか、

一切、受け付けないという決意は固かったのです。