超少食実践者・コルナロ語録・解説 30 最終回 聖職者への勧め
【コルナロ語録 30 最終回】
世の中には神に仕え、神の言葉を伝え、神を賛美して神に奉仕を捧げている人々(聖職者)がいる。
こうした生活は立派である。しかし、もしこの神に仕える人たちが、
食を律する規則正しい食生活をしていたならば、
さらに今より、人々から尊敬される人々となるであろう。
彼ら(聖職者)は、つねに健康と幸福に恵まれ、長生きし、そのために知恵を得て、
いっそう社会の有用な人間となるからである。
しかし、現実はこの逆である。大半の聖職者が病気になり、気分もすぐれず、
気持ち悪い晩年を過ごしているのである。
そのような病気の苦しみは神が贈られたものとしているから始末が悪い。
ほんとうはこのようなことを悔改める機会のためにあるのだがそうではないようだ。
これは大きな間違いである。
神が創造された愛すべき人が、病んだり、それで悩んだりすることを神は望んでおられるはずがない。
人がこのような問題に直面しているのは、人が知らず、知らずかまたは知っていながら、飽食に溺れ、
そのほかの不摂生によって自ら招いていることなのである。
聖職者といわれる人たちが、健康管理の面でこの世の模範となるならば、
天国の道は今よりずっと歩きやすくなるであろう。
ほんとうに聖職者は食を節することが心身両面の健康に欠かせないということを普通の信徒に教える責務がある。
この長い講話を終えるにあたり、長年、様々な恩恵に浴してきた者として、すべての人に対して、
次のようなことを申し上げたい。
私は言葉で言い表せない多くの恩恵を受けている。
それは長寿であったことの恩恵なのである。
それを伝えるために書いてきたのだ。まことにまことのあなたがたに言う。
幸せな人生を享受していただきたい。
そのためにこそ、食を節する重要性について語ってきたのである。
(95歳の講和-03「無病法」122-124頁から)
【コルナロ語録・解説 30 最終回】
コルナロの著作が初めて日本で出版されましたが、翻訳された方が、クリスチャンではない方、
しかも超少食を体験したことがまったくない方だったので驚きました。
なぜならコルナロの一番肝心な天国を待つ信仰は一切、触れられていなかったからです。
おそらく理解できなかったからでしょう。
ゆえに今回、申し訳なかったのですが、本の引用と解説を私自身の解説として、
こうしてブログに30回に分けて記載させていただきました。
今後、コルナロ会を発足し、コルナロを徹底的に勉強していくために
このブログ連載の記事をテキストにしていきます。
さて、コルナロは敬虔なカトリックのクリスチャンであり、清く正しく身を慎んで、
天国に召されることを楽しみつつ102歳で天国に勇ましく凱旋していきました。
まさにキリストの花嫁としてです。
そして(カトリック)聖職者への痛烈な批判です。
コルナロが生きた時代にすでにカトリックは相当、腐敗が進んでいました。
教職者である神父にアル中、大食で肥満者が続出していたようです。
コルナロはこの由々しき実態を痛烈に批判していますので、
この健康に関する書を果たして神父は読んで受け止めていたのでしょうか。
そうであれば宗教改革は巻き起こらなかったことでしょう。
カトリックの腐敗は食を制することができないことから、
がん病巣のようの根底から犯されていったようです。
宗教改革という大手術がどうしても必要だったのです。
しかし、これは500年前のカトリックだけの話でしょうか。
最近もあるプロテスタントの教団の牧師たちが集まる会食に行きましたら、
ビールなどお酒がたくさん出てくるし、食べている食事の内容が添加物と肉食のオンパレード。
これではカトリックにプロテストした意味もなく、
安易にカトリックを批判することはできません。
今日のプロテスタント教職者たちもコルナロ語録を真剣に読んでいただきたいものです。
そして主の前に真剣に喰い改めにも藤樹の宿に来ていただきたいものです。