40日ファスティング経験者の本音!

ファスティング(断食)の素晴らしさやファスティングの正しい方法、効果などを紹介しています。

ファスティング(断食)で救国を    02   ユダヤ人の生き残りが可能なのは断食にあり

先回に書きましたように何度も絶滅危機の中を掻い潜ってきたユダヤ民族は、一言でいうならば、断食を知り尽くした断食民族なのです。

 

 

ユダヤ人4000年の歴史を刻み込む祭り(過越しの祭り、七週の祭り、仮庵の祭り)がありますが、いずれも断食を伴います。日本の祭りは、飲む、喰う、踊るのとはまったくの真逆です。

 

彼らは4000年間、一番楽しいはずの祭りでなぜ断食をしなければならないのでしょうか。日本だったら楽しく飲んで、騒いでですが、どうしてユダヤ人はそうならないのでしょうか。それは彼らの民族の誕生とその歴史が私たちに教えてくれます。

 

4000年前にユダヤ人は、祖国を求めて、エジプトを出て40年間、砂漠を通過しましたが、ほぼ断食状態でした。彼らの祭りでは、その原点に戻るのが、祭り(=記念)でしたから、断食が基礎になります。その後、王国を築きましたが周辺大国に滅ぼされてしまいますが、祖国に帰還するために断食を繰り返しています。世界最強のローマ帝国支配下でもそうでした。こうして次々と大帝国は消えていきましたが、ユダヤ人は生き残っていきました。ユダヤ人の祭りも断食が中心なので、食事はまさに粗食なのです。

 

そしてこの民族習慣は、ユダヤ教をベースにしたキリスト教イスラム教に引き継がれました。キリスト教は、2000年間にカトリックプロテスタントなど多くの教派が生まれましたので、断食をしない教派が生まれました。

 

しかし、カトリック教会は修道院が断食を正しく継承しています。イスラム教では経典の中に厳守する戒律に断食があり、ラマダーンが有名です。さてユダヤ人(=教)祭りの中でも最大の過越祭(ペサハ)では、実に質素な種(イースト菌など)の入れないパン(マッツアー)を食べます。この過越祭(ペサハ)はこうしたパンを少し食べますが、凄いのは、贖罪の日(ヨム・キプル)で9月末から10月半ばまでの祭りですが、この期間はかなり厳しい断食期間です。

 

 

日本では、これらのことは宗教的な断食なのでまるで関係ないように断食のコラムサイトに書かれていますが、果たして宗教のことだからと簡単に切り捨てられる問題なのでしょうか。

 

 

私はむしろ今回、ユダヤ人のように断食を民族の根底に据えているように、日本民族の存亡に関わる事態が確実に来ることを踏まえて、今こそ断食をすべきではないかと強く感じています。

 

河合氏が指摘するように日本の少子化が、「人口戦」で操られてきたとするならば、日本民族の根絶やし作戦が国際的な思惑で進行してきたわけで、その路線に乗せられたことに早く気が付き、大方向転換しなければなりません。

 

そのためには、早急に日本政府は、全国民に断食布告をしなければならないのです。ヨナ書(旧約聖書ヨナ書3:3-10)には下記のような記事があります。

 

・・・ヨナは主の命令どおり、直ちにニネベに行った。ニネベは非常に大きな都で、一回りするのに三日かかった。ヨナはまず都に入り、一日分の距離を歩きながら叫び、そして言った。「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。」すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者も低い者も身に粗布をまとった。このことがニネベの王に伝えられると、王は王座から立ち上がって王衣を脱ぎ捨て、粗布をまとって灰の上に座し、王と大臣たちの名によって布告を出し、ニネベに断食を命じた。「人も家畜も、牛、羊に至るまで、何一つ食物を口にしてはならない。食べることも、水を飲むことも禁ずる。人も家畜も粗布をまとい、ひたすら神に祈願せよ。おのおの悪の道を離れ、その手から不法を捨てよ。そうすれば神が思い直されて激しい怒りを静め、我々は滅びを免れるかもしれない。」神は彼らの業、彼らが悪の道を離れたことを御覧になり、思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられた。・・・・

 

 

※ニネベ=(Nineveh)は、古代メソポタミア北部にあったアッシリアの都市。アッシリア帝国の後期には首都が置かれた。