40日ファスティング経験者の本音!

ファスティング(断食)の素晴らしさやファスティングの正しい方法、効果などを紹介しています。

断食指導30年のあゆみ 15 断食指導者は失敗の経験が必要 

昨日、お恥ずかしいことながら酵素断食のリバウンドで

大失敗したことを書きましたが、

そこから立ち直るのに10年近くもかかったことは実に悔しいことです。

かつて日野原重明(注・01)先生は、

「医師の成長のためには一度は病気を経験しなければならない」と

書いておられましたが、その言葉を借りれば、

断食施設指導者も同じで、病気をして癒された経験を持つか

私のように40日間断食をして大失敗を経験して、

二度とこのような経験をしてもらいたくないと覚悟して運営にあたれば、

日本に断食の普及がさらに進むことでしょう。

しかし、現状では断食はダイエットの代名詞となっているようで

利益をあげることばかり考えているようではダメです。

滋賀県高島市にオープンしましたので関西からの来会者が多かったのですが、

関西人で甲田光雄医師の名を知らない方が多いのには驚きでした。

なかでも甲田医院があった八尾市からも10名は

ファスティングに来られましたが、

1人として甲田光雄医師の名も甲田医院の名前も知らないのはショックです。

56年間も全国的に知られた甲田医師も忘れられているのですから、

高島市に藤樹の宿があったことなど高島市民は1年もすれば

完全に忘れ去られることでしょう。

ましてや高島市から誰一人として断食に来たこともなく、

ファスティング」の意味すら知らないのですから、当然と言えば当然です。

さて、私は酵素断食のリバウンドから立ち直るのに10年間を要しましたが、

今まで読んできたにも関わらず、

甲田医師が56年間も叫んできた少食断食の本を捨てずに大切に本棚に並べて、

順番にもう一度、虚心に真剣に読み始めたからこそ、気が付いたのです。

まさに初心に帰れです。

少なくとも私も大失敗の教訓を次に生かそうと高島市

「古民家ファスティング藤樹の宿」で甲田医師が説いておられた

少食断食をここまで6年間も推進してきました。

そして高島市滋賀県が少食ファスティングのメッカになることを願っていましたが、

それには到底及ばず、近くここを離れるのも何か寂しいものです。

 

日野原重明(注・01)

1911年10月4日 - 2017年7月18日)は、日本の医師、医学者。1970年代から「習慣病」と呼び、旧厚生省はこの考えを受け入れ1996年に「生活習慣病」と改称。1995年3月に発生したオウム真理教による「地下鉄サリン事件」では、聖路加国際病院を開放する決断を院長として下し、外来患者の診察など通常業務をすべて停止し、83歳の日野原は陣頭指揮を執り、被害者640名の治療に当たった。これができたのは、この3年前に日野原が北欧の病院の視察からヒントを得て日野原の発案で大災害を見越して廊下、待合室の壁面に酸素配管約2,000本を設置していたことや、広いロビーや礼拝堂を設けていたからである。