40日ファスティング経験者の本音!

ファスティング(断食)の素晴らしさやファスティングの正しい方法、効果などを紹介しています。

断食救人類の書 215 少食は救国、救人類となる 01 日本少食ファスティング協会発足への備え  

甲田医師が書かれた「あなたの少食が世界を救う」をベースにして、

私は本年3月31日から「断食救人類の書」というカテゴリーを設けて、

連載を開始しました。

くすしくも翌日の4月1日は、復活祭(イースター)でした。

甲田光雄医師は熱心な仏教徒であり、58年間にわたり甲田医院を開業して、

少食ファスティングの普及に努められました。

この甲田光雄医師の意志、ビジョンを継承する決意で

「断食救人類の書」を書き始めましたが、

これは先日、書きましたように

「日本少食ファスティング協会」を発足する道へと導かれてきました。

甲田光雄医師は10年前に亡くなられましたが、

私は高島市で「古民家ファスティング藤樹の宿」をオープンした翌月から、

このブログを立ち上げ、毎日、投稿してきましたが、

最も重視してきたのは、甲田光雄医師の「少食」に関する著作です。

私も23年間、ファスティングの施設を運営してきましたが、

やはり一番、ファスティングの中で重要なのは、

「少食ファスティング」にあるという結論に至ったからです。

そして甲田光雄医師の少食は、

「これを実践する人たちのコミュニティーが必要である」

という提案をされていますので、

「藤樹の宿」を利用された方で、

引き続き少食ファスティングを実践する方たちの

コミュニティー形成をしていきたいと思います。

確かに少食する人たちは、日本ではまだまだ少数ですが、

しかし、たとえ少数でありましても一致して、少食を実践していくならば、

必ず、少食することが主流となる時代が到来します。

たとえば1941年から始まった配給制度のようなことが

何らかの理由で起こったら、否が応でも少食にならざるを得ないわけです。

朝日新聞の説明では、

 

――太平洋戦争が開戦する直前の1941(昭和16)年4月に米の配給制が始まり、

消費量が制限された。やがて戦争の長期化や不作で米不足となり、

イモや大豆などが代用食として配給されるようになった。

配給制度は戦後も続き、配給以外のやりとりは「闇取引」として取り締まられた。――

 

とありますようにお米やサツマイモ、大豆などが配給になり、

闇取引が横行していきます。

この統制は敗戦後も食糧難で引き続き実施されていきますが、

国民は極度の食糧難、そして飢餓に苦しむことになります。

この太平洋戦争の飢餓状態からようやく脱することになった昭和30年頃から、

日本はその反動、まさにリバウンドで食べ物への異常な執着が始まります。

そのリバウンド状態は、今なお継続され、

日本ではまだまだファスティングすることへの抵抗感はかなり強いものです。

まだまだ敗戦後の後遺症は、根強く残っています。