40日ファスティング経験者の本音!

ファスティング(断食)の素晴らしさやファスティングの正しい方法、効果などを紹介しています。

ホーリースピリチュアル・ファスティング 54 ファスティングの極みにいく 03 ファスティングに極みは、死と取り組むこと 

私は生まれて初めてのファスティングをしてから1週間後に最愛の妻を亡くしました。

心筋梗塞で死んだのです。

その時、人間の死について多くのことを教えられたのです。

そして死への備えなど常日頃、あまり考えたこともなく、

漠然としていたということを思い知らされました。

かつてヨーロッパを襲った14世紀のペスト大流行の惨禍で、

死と直面した人々は,いかに死ぬかということを考え,

死に方の手引書がベストセラーとなりました。

「アルス・モリエンディ」

(15世紀の西欧社会に普及した小冊子で,〈死亡術〉あるいは〈往生術〉です。

しかし、ファスティングに極みは、死と取り組むことではないでしょうか。

妻の死で私はこの死と相対することがファスティング

ということを教えられたのです。

人間はみな死に際して、

やりとげたこと、生きがいだったこと、投げ捨てるしかありません。

そしてまさに究極のファスティングはすべてを断念しなければならないのです。

すべてを手放さなければならないのですから、

それは死という最終的な「手放しの日」に備えるための訓練ではないでしょうか。

私は30年前に私にとって一番大事な大切な人を失ってみてと喪失、

断念こそ新たなスタートであることも知ったのです。

ましてやファスティングで今まで固執してきた自分なりの人生観、

そして食事も含めた生活習慣などなくてはならないものを投げ捨ててしまうことを

経験をすることは、本当に生きることへの大きな肯定となることを学んだのです。

修道会の創始者ベネディクトゥスは、

「突然の死を、日々、目の前で思い描きなさい」ということを

何度も繰り返したといいます。

では私たちにとっての死ななんでしょうか。

これまで繰り広げられてきた生存競争での失敗とか

負け戦さで虚しいとする必要はないのです。

私たちはいつか自分を創造されたGODにすべてお返しする時が来るのです。

日本では死がまったくタブー視されています。

四・4を「死」と読むので、部屋番号などあらゆるところで避けている数字です。

これを「言霊」といいますが、死を直視するのを避けている最も卑怯な方法なのです。

しかし、死を直視できない宗教や空気が支配する日本人は、

おのずとファスティングの概念をまったく分かっていないということになります。

14世紀のペスト大流行の惨禍で死のとらえ方が洗練され、

ファスティングはその訓練として尊重されました。

それは今年のコロナ禍で生かされているのです。

そして日本はこのような死生観に備えるファスティングなど一切、存在しません。

日本のファスティング入門書、手引書を書いておられる

多くの医師や評論家などの本を読んでも

ファスティングに極みは、死と取り組むこと」だとは、一切、書かれていません。

正確にいえば、書かれていないというより、書けないのです。

あまりにもファスティングへの考え方が狭すぎ、

ヨガのような聖書の断食とは真逆のものにとらえられすぎています。

そしてファスティングすることは死の備えだけではなく、

自らが手に握りしめているすべてのもの自己放棄のなにものもないことなのです。

私たちが囲い、蓄えているすべてのものを投げ捨てることなく執着している限り、

何も新しいことは生まれません。

今、世界のITをリードするGAFAは、哲学思考で経営しているといわれています。

哲学の根幹、聖書を読まずして、ファスティングのことは、何一つ分からないのです。