武士道が生まれた背景 12 サムライ教会「札幌独立教会」の誕生
英文「武士道」を後に世界に向けて発信した新渡戸稲造と
英文「代表的日本人」を「武士道」より数年早く世に問うた内村鑑三。
この二人は札幌農学校で最も親しかったのですが、
二人ともサムライ精神によって生きたのです。
しかし、二人のサムライ精神によるキリスト信仰の捉え方は、かなり対照的なのです。
新渡戸稲造は哲学的性向を持っており、神への一神教には懐疑的になっていきます。
しかし、アメリカに留学して、クェーカー教徒になり変化していきますが、
この頃の日記には
「自分は神がわからなくなってきたけれども、宇宙には何か偉いものがある。
Great Lawがある」と記しています。
ただここでは今の日本の宗教的なものと何か相通じるところがあります。
内村鑑三のサムライ信仰は、新渡戸稲造とは異なり、一直線なのです。
内村は幼い時から神の存在は疑ったことはなかったのです。
そして神の存在を確認するためにこれまでの多神教から一神教に移行したのです。
また他の同級生の中では誰よりも罪認識が強かったのです。
まさにパウロのように
ローマ人への手紙
7:18 わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。
善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。
7:19 わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。
の告白のような体験を少なからず明確に持っていたのです。
新渡戸はより哲学的で理知的で神の存在、神のなさを問題にしており、
内村は神の存在は疑問がまったくなく、
むしろ神の前における自己の罪を問題にしたので、
よりパウロのように倫理的であったのです。
それが後に内村は、強烈な十字架信仰を体験して会得することになっていきますが、
新渡戸はそうではありませんでした。
内村鑑三のサムライ的信仰は十字架信仰であり、
新渡戸稲造のサムライ的信仰は、倫理哲学信仰であったといえましょう。
このような温度差はありましたが、二人の信仰にある友であり、
キリスト信仰を支え合っていきました。
新進気鋭の優秀な武士の子どもたちが学ぶ国立の大学で
こうしてキリスト信仰が芽生え、遂に1期生、2期生が協力して
「札幌独立教会」が誕生し、日本で最初に海外宣教団体に依存しない、
独立教会が誕生したのです。
まさにサムライクリスチャンたちのお城の完成です。
その城を維持する方法は極めてシンプルでした。
独立宣言4箇条で教派主義などの競争を禁止し、煩雑な教会礼典を廃止し、
外国宣教師に依存せず、牧師も常任は置かず、
1期生、2期生の中から5名が礼拝説教を担当しました。
運営も5人の運営委員会で民主的になされ、
まさにクラークが札幌農学校で敷いた路線に類似した集会となっています。
これは後に無教会主義の芽生えともいえるもので、
無教会主義はサムライ主義なのです。