40日ファスティング経験者の本音!

ファスティング(断食)の素晴らしさやファスティングの正しい方法、効果などを紹介しています。

武士道が生まれた背景  11 サムライ教会の誕生 

二期生18人中、15人が契約書にサインします。

同時に禁酒禁煙の契約にもサインしています。

内村鑑三の同期18人の中には、新渡戸稲造

(旧制第一高校・現東京大学校長、国際連盟事務局次長、主な著書「武士道」)、

廣井勇(いさみ、札幌農学校東京帝国大学土木工学科の教授)、

宮部金吾(北海道帝国大学教授、植物学者)らクリスチャンの国際的学者・教養人がいます。

内村鑑三は「われら7人」と呼ぶように結果的に7人だけが、

誓約書にサインした1年後に洗礼を受けます。

彼らは実に固い結束と友情であり、ここにクリスチャン・コミュニティの誕生したのです。

内村鑑三は常に最優秀の成績でした。

後年、内村の弟子が「先生はなぜ東京帝大にはいらなかったのですか」との質問したところ

金がなかったからさ」と大笑いしながら答えた。(鈴木範久「内村鑑三」)といいます。

札幌農学校は学費全額が官費であり、報酬も出たし、夏冬の制服が支給されたのですから

貧困な学生は助かる制度でした。

内村たちは7人は、1期生と同じように小さな集会を持ち、

後に内村は「小さな教会」または「おもちゃの教会」と呼んでいます。

そこから札幌独立教会が誕生し、後に内村は無教会を創設します。

無教会とは日本的キリスト教であり、サムライ教会なのです。

まさに内村が語った「武士道に接ぎ木されたキリスト教」の誕生です。

この小さな教会である7人の集会は、毎週日曜日に順番に説教をし、

祈祷、聖書朗読、説教、各自の感話、祈祷というものでした。

また1期生の集会との合同礼拝、合同の水曜祈祷会を持っていました。

内村は外国で書かれた注解書、宗教書を読み、実質的な指導者となっていきます。

後に上京した内村は、このような素朴な信仰生活は鹿鳴館時代に浮かれるキリスト教よりも

優れていると感じたようです。

自分たちの教会がサムライ教会としてだけではなく、

民主的、自主独立精神に満ち、

聖書本位で制度的な教会とは違う精神主義的教会形成であったのです。

それはまさにサムライ精神が息づいていた明治初期のキリスト教でもありました。

そしてこの体験は後に無教会主義形成となっていきます。

ゆえに無教会主義はサムライ主義なのです。

また、内村と最も親しかったのは、宮部金吾と新渡戸稲造でした。

この3人の友情は生涯にわたって続きます。

とくに宮部は温厚な性格で、4年間の寮生活は同室で、

宮部の回想録には次のような記述があります。

 

「ある日、外出から帰って来た内村が室内に飛び込むなり、

ストーブの上にあった土瓶をとり、宮部これを叩き壊していいかと不思議なことをいいだした。

良いと答えると彼は力まかせに土瓶を床に叩きつけ、

その音を聞いて、これで生成したと平素の顔に顔つきを取り戻した。

何か気にくわぬことがあったのだろう。

しかし、反面、武士気質で正直で、敬虔で、几帳面なところがあり、

友情に富み、また友人の忠告をよく受け入れる裁量をもっていた」と。

 

まさに内村こそサムライの中のサムライ精神の持ち主であり、

それが無教会という世界に類をみないコミュニティー形成をなしていったのです。