武士道が生まれた背景 13 滅私奉公に生きるとは
武士道・サムライ精神につきましては、
今後、李登輝「武士道解題」をたびたび引用していきますが、
サムライ・マインドの一つに
「滅私奉公」(めっしぼうこう)」ということがあります。
この滅私奉公の本当の意味とは、
私利私欲を捨て、公のために生きるということがあります。
これはイエス・キリストの生涯がまさにこの滅私奉公の生涯であり、
本物の滅私奉公に生きた方でした。
それはパウロの書いた手紙にこのような言葉があるからです。
フィリピ人への手紙
2:6 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
2:7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。
人間の姿で現れ、
2:8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
イエス・キリストこそ私利私欲を捨てて、
「ご自分を無にして」「仕える者の姿」をとられたとパウロは教えました。
そして人間と同じようになられた。
彼は「へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
それゆえに・・・
2:9このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。
2:10 こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、
2:11 すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べ伝えて、父である神をたたえるのです。・・・
とあります。
まさにイエス・キリストこそ、
神のために、人のために滅私奉公の生涯を送られたということになります。
それこそ武士道の最高の生き方なのではないでしょうか。
そのことは、日本の伝統文化である武士道の完成といえます。
ゆえに明確な日本精神を持てば、
イエス・キリストのように生きることができるということになります。
武士道の基本であります滅私奉公は、
単なる封建時代の遺物である道徳律ではないのです。
イエス・キリストの生き方と同じ素晴らしい生き方であることを知りますと
武士道こそ世界に声高らかに叫ぶことのできる道なのです。
自分を捨てることによって、そこに本当の自分が生まれるのです。
私を滅して公のために生きるときに、本当のあなたの生き方が始まるのです。
私利私欲に生きる者は、結局、何もかも失ってしまうのです。
むしろ、私利私欲を捨てて公のため、神のために生きる者はすべてを得るのです。
本当の滅私奉公というものを示してくださった
イエス・キリストの歩まれた生涯に合わさられると
真に武士道に生きる生涯となります。
そのようなイエス・キリストの歩みには遠いと思わないでください。
なぜなら共に歩んで支えてくださる方なのですから。
そのことを新渡戸稲造は武士道で書いたのです。