武士道が生まれた背景 04 内村鑑三が最初に「武士道」を指示した
昨日、新渡戸稲造の「武士道」精神についてウィキの記事を紹介しましたが、
投稿した後で調べていくと武士道、またはサムライ精神は、
この二人とも札幌農学校でハリスから洗礼を受けたクリスチャンであり、
なぜ日本を代表するこのようなキリスト教徒たちが、
まだ誰も目覚めていない日本で誰よりも早く武士道を体系化していったのか
様々な考察する論文が出ています。
それは聖書に出会うと自分の立つべきアイデンティティが問われるからです。
まず、クリスチャンは自分がどこに立っているのか、その存在が問われます。
すると私は日本人であり、日本を貫いているものは何かを問われます。
明治初期にキリスト教と聖書に出会った武士出身の新渡戸稲造と内村鑑三は、
武士道こそ旧約聖書のような自分たちの土台であるという強い自覚がありました。
内村鑑三はクリスチャンになったかなり初期の頃に次のような言葉を残しています。
「武士道の台木にキリスト教を接(つ)いだもの、それは世界で最善の産物だ。
それには日本国だけでなく、全世界を救う力がある」
つまり、武士道こそ日本国だけではなく、世界を救う力だというのですから、驚くべき言葉です。
これをファスティングに適用するならば、私は韓国で生まれて初めてファスティングに出会いましたが、
これは韓国式水断食であり、日本人にはとうてい適用できるものではありませんでした。
しかも韓国式キリスト教の断食祈祷です。
35%のクリスチャン人口を獲得するという大きな原動力になったのですが、
日本はいくら韓国を猿真似しても韓国式では追い付けないのです。
すると韓国に勝るものは、サムライ・ファスティングではないかと思うようになりました。
とくにこのブログで「断食救人類の書」というカテゴリーを設けて300回出執し、
今回、12月2日にその中から76編を1冊の本にして発行するのですが、
それを編集していた時に示されたのは、
日本人に合う、日本人に通用するファスティングは、
日本精神を体現するものではないかと思ったのです。
そうして示されたのが「サムライ・ファスティング」です。
これから「サムライ・ファスティング」を連載していきますが、
それはこの二人の明治を代表するキリスト者、思想家の書いた武士道をベースにして、
私のめざす、「サムライ・ファスティング」を描いていこうと思います。