40日ファスティング経験者の本音!

ファスティング(断食)の素晴らしさやファスティングの正しい方法、効果などを紹介しています。

断食救人類の書 208 超少食の実践編  41 少食にどのように移行するのか 29 段階的な移行 26 少食に移行する方法 17 少食移行後の体の変化 06 体の変化 03 日野原重明医師の場合

日野原重明氏は、1911年10月4日 - 2017年7月18日)は、

日本の医師・医学博士で聖路加国際病院名誉院長など多くの役職をこなして

昨年、5年分の講演などぎっしりのスケジュールを残して、天に召されました。

日野原医師は、日本版コルナロだと私は思っています。

それは少食に徹しておられたからです。

日野原医師は平均基礎代謝量より、300キロカロリーも少ない食生活をしておられました。

現代栄養学の常識では1年後にガリガリの痩せ細った体になる数字ですが、

生涯、現役の医師として、また数えきれない多くの役職をこなしていかれました。

これは少食の秘儀だけではありません。

クリスチャンドクターとしての霊的な賜物もあったのです。

日野原先生は、高齢になって大食いなど絶対のあり得ませんでした。

しかし、作家の瀬戸内さんがステーキを食べていたということですが、

異例中の異例です。

これはやらせではないのか分かりませんが、宗教者として問題です。

さて、日野原先生の生き方上手

(83歳で書かれ本のタイトルでベストセラーとなった)は、

少食にあったのです。

少食にすると頭が冴えます。

それゆえに先を見透すことができます。

日野原医師の少食能力がいかんなく発揮されたのは、オウムサリン事件です。

朝のラッシュ時に起きたオウムテロ事件は、

1995年(平成7年)3月20日午前8時ごろ、

東京都内の営団地下鉄丸ノ内線日比谷線、千代田線で地下鉄車内で、

化学兵器として使用される神経ガスサリンが散布され、

乗客や駅員ら13人が死亡、負傷者数は約6,300人に及び、

平時の大都市において無差別に化学兵器が使用されるという

世界にも類例のないテロで世界的に大きな衝撃を与えた大事件でした。

その中で日野原医師が病院長であった聖路加国際病院

事件が起こる3年前に「過剰投資ではないか」と言う批判がある中で、

大災害や戦争の際など大量被災者発生時にも機能できる病棟として、

広大なロビーや礼拝堂施設を備えた聖路加国際病院・新病棟を

1992年に完成させていたのですが、オウムの地下鉄サリン事件の際に遺憾なく発揮されました。

通常時の機能に対してあまりにも広大すぎると非難もされていた

ロビー・礼拝堂施設、廊下などは、すべて緊急応急処置場として機能したのです。

日野原院長の即決判断で事件発生後、直ちに当日の全ての外来受診を休診にしました。

そして被害者の受け入れを無制限に実施し、同病院は被害者治療の拠点となり、

サリンの解毒剤を集中的に使用できましたので、

朝のラッシュ時に起きたテロ事件でありながら、

犠牲者を最少限に抑えることに繋がったのです。

この時の一部始終はNHKのドキュメンタリー番組、

プロジェクトX〜挑戦者たち〜』で取り上げられました。

日野原医師の少食生活で冴えた頭脳、体力がこのような機敏な判断と

指導力をもたらしたのです。

私たちは、このような日野原医師やコルナロに続きましょう。