40日ファスティング経験者の本音!

ファスティング(断食)の素晴らしさやファスティングの正しい方法、効果などを紹介しています。

断食指導30年のあゆみ 34 本物の断食とは何か 16 修道院での飽食、美食が蔓延した結果 

今年はイースターが4月9日でした。

この日までの期間を四旬節という受難週で、この間は、断食期間ですが、

次第にこの断食期間は世俗化、乱れた食事になって、

カトリック教会も堕落していきます。

その大きな要因は、あの有名な聖トマス・アクィナスだったのですから驚きです。

彼の登場までは、修道士は四旬節という

受難週断食期間中に肉食の罪を犯すと死罪だったのですが、

トマス・アクィナスはあまりにもひどい俗っぽい肥満となってしまい、

相当な肉を食べていたようなのです。

そしてある修道院では、修道院一人当たりのカロリーが

7000キロカロリーと超肥満体だったという記録があります。

修道士たちの暴飲暴食がこのような結果を招いたのですが、

当時のドミニコ修道会のハンス・コンラートは、

「理想と現実とは一致しない」と嘆きつつ、その廃頽ぶりを報告しています。

しかし、そのような廃頽とは真逆の

最初に断食を核とした聖アントニウスのように

清貧と粗食と断食を繰り返している修道士も数多くいたのも事実です。

ロームアルト(956-1027)は、

毎日、手のひら一杯のエンドウマメで生活したといいます。

また、聖ケレンスティヌス(1209-1296)は、

年6回の40日断食をしていたともいいます。

世界の歴史で最初にエジプトの砂漠に修道院を開設した

聖アントヌイス(251-356)は、

基本的に日が沈むまで何も飲み食いしない生涯を送りました。

この聖アントヌイスの修道院内規が、

キリスト教の断食祈祷の基礎となっています。

こうした3人の素晴らしい中世の修道士たちの断食姿勢がいたのですが、

残念ながら真逆が食べ物に執着した修道士たちも多くいたのです。

その理由は飢餓への恐怖だと言われています。

天候による食物不足による飢餓、

また、戦争による略奪が起こす飢餓でただちに飢えに脅かされるために、

食べられる時に腹一杯食べておくことに

脅迫的なものに憑りつかれていたのです。

これは日本でも私のような70歳台以上の方は、

太平洋戦争と戦後の食糧不足で、飢餓への恐怖があり、食べまくってきたのです。

中世時代は戦争(十字軍など)を担う騎士たちは大いに飲み食いしたのですが、

問題は修道士でした。

食べ過ぎが修道士に蔓延すると間違いなく、修道院は退廃し、

その修道院の地域住民は、退廃していきました。

自分自身の欲望をコントロールできない惨憺たる姿となっていきます。

食べ過ぎで帝国国家が崩壊したローマ帝国のように

目も当てられない光景なのです。

魔女裁判などもそのような退廃の中から出てきた悪しき慣行の一つです。

すべては食の退廃なのです。

ベネディクトゥスは、「神をその坊主頭であざむいている」と批判しましたが、

日本の仏教でも今日、坊主が袈裟を着て肉酒をたらふく食べているのと同じです。

まさに修道士たちが外見で神を欺いているという姿で

中世の風刺画にかなりこの滑稽な姿が残されています。

フランスの作家モーリャックは、

「大修道会の俗物主義」として痛烈な批判をしました。

彼は「修道士たちの精神状態は、英国の競馬倶楽部の会員と同じだ」指摘しています。

修道院での飽食、美食が蔓延して、

堕落すればカトリック教会を支えているものが崩れ、

教会全体が崩壊し、ついに中世の時代の暗黒の教会史となっていきます。

それゆえにルターの宗教改革は必然だったのです。

ルターの宗教改革で退廃していたカトリック教会も復興していくのです。