40日ファスティング経験者の本音!

ファスティング(断食)の素晴らしさやファスティングの正しい方法、効果などを紹介しています。

断食指導30年のあゆみ 24 本物の断食とは何か 06 日常の習慣から自由になるのが断食の正しい目標だ

日本人の大半は断食=ファスティングを完璧に低くみています。

その理由は、断食はすなわち宗教であり、

宗教嫌いが強い国民だかです。

コロナ禍が始まった2020年、

ある青年の呼びかけで始まったZoomファスティングに関わりました。

藤樹の宿でファスティングを体験したこの青年は、

コロナで自宅待機、またリモートワーキングをしている友人たちに

SNSで呼びかけて藤樹の宿方式の超少食ファスティングを広げていこう

という意気込みで始まったものです。

しかし、残念なことに断食するという行為への軽視がものすごく強く、

宗教性は完璧に軽視する傾向がありました。

ですから食材をつくる方や運営の方への配慮もあまりなく、

しかも至る所でファスティングへの根源的な軽視がみられたのです。

正直、ものすごく断食を嘗めているとしかいいようがありませんでした。

そして私は聖書にもとづくファスティングのことや

ファスティングにともなうリスクをこの青年には何度もお話ししましたが、

全く聞く耳を持っていませんでした。

やはりファスティング経験30年間の私が

このようなZoomファスティングに関わっている以上、責任があるので、

ずいぶん忠告させていただきましたが、馬の耳に念仏でした。

私は常に言い続けたのですが、まず、ファスティングは、

ファスティングした者しかわからないことがあります。

それはファスティングをすると日常の習慣という、

しがらみから自由になれることです。

これは「日常の習慣から自由になれる」という

極めてファスティングの本質を語っているのです。

私もかつて1988年のバブルに完璧に縛れた経済活動をしていました。

そして食もバブル、考え方も行動も

すべてあのバブル狂乱時代が染みついていたのです。

1993年に韓国で1週間ファスティングをして、

完璧にそこから自由になれたのです。

もしファスティングに踏み出さなかったら、真の自由はなかったのです。

ファスティングとはまさに

「しがらみからの解放」にほかなりません。

私は日本人が日本教というしがらみにがんじがらめに縛られていると見ています。

つまり「人間教」です。

そこから解放されない限り、日本のいつまでも世界の流れについていけませんし、

孤児となってしまうでしょう。

ですから日本がファスティング民族とならなければならないのです。

日本人全員が塵灰を被ってファスティングをしたら、

世界トップクラスの祝福が豊かに注がれる国となるでしょう。

しかし、ファスティングをあざ笑う限り、

真逆の呪いを刈り取る国となります。

それは聖書が語る歴史観なのです。

そしてファスティングすると、自分自分という存在が、

はっきりと輪郭が明確になってきます。

人間は自分という存在が分かるかにすべてかかっています。

他人は成功すれば妬みを、失敗すれば罵りを受けて、

誰も正直に自分にお前はいかなる人間だということを語ってくれません。

語られるのはただ聖書の言葉だけなのです。

ですからファスティング中に一番することは、

聖書を真剣に読むことです。

聖書を読めばあなた自身に言葉が突入するのです。

聖書の言葉は、神の言葉、神の霊の言葉ですから、

人間の言葉ではありません。

そこには人間の恣意など何も介在しません。

ゆえに自分というものがいかなるものかを強烈に示されるのです。

これを啓示といいます。

そして「神を体験する」ことなのです。

神を体験すると日本人が聞くと憑依することと勘違いするようですが、

おかしな話です。

神のみ言葉が突入しないでどうして自分がいかなるものかを理解し、

分かることができるでしょうか。

それがないとすればいつまでも人間の言葉に左右され、

支配されていることになります。