40日ファスティング経験者の本音!

ファスティング(断食)の素晴らしさやファスティングの正しい方法、効果などを紹介しています。

玄米菜食 117 玄米菜食の玄米はいかなるものなのか 13 宮沢賢治は玄米菜食でなぜ早死にしたのか 

玄米はある工夫をしないで食べ過ぎるとかえって

体の毒になることを証明してくれた人物が宮沢賢治です。

彼の有名な詩に「雨ニモマケズ」があります。

没後に発見された遺作のメモで詩として受容されて広く知られており、

賢治の代表作のひとつともされています。

 

「一日二玄米四合ト味噌ト少シの野菜オタベ」

 

とありますが、この4合は玄米の600gなので相当な量で、実に食べ過ぎなのです。

敗戦直後の文部省の国定教科書に当作品が掲載するにあたり

GHQの統制下にあった民間情報教育局 (CIE) の係官は「玄米四合」を

「玄米三合」に変更せよということで

それを編集委員石森延男が涙ながらに呑んだといいます。

いずれにせよ、宮沢がなぜ37歳の若さで死んだのかです。

宮沢の伝記で

 

・・・農学校を卒業、研究生として残り、稗貫郡の土性調査にあたる。

これは関からの推薦によるものであった。

賢治は誠心誠意この仕事に打ち込み、休ませてもらった家には

法華経の印刷物を置いていった。

またこの頃から5年間、菜食生活をする。

花巻に帰省する際、見送りにきた河本義行に

「私の命もあと十五年はありません」と語ったという・・・

 

とあり、

この5年間の菜食生活が「雨ニモマケズ」にあるようなものだったか分かりませんが、

それにしても玄米4合はいくらなんでも食べ過ぎです。

しかもよく噛んでいたように思えず、これでは様々な病気を併発します。

手帳に書かれた「雨ニモマケズ」が書かれた前後を調べると

「医者にもかからず、薬はビール酵母と竹の皮を煎じたものを飲むだけだった」

ともいわれていますし、1933年9月17日、

突然、呼吸が苦しくなり、往診した医者から急性肺炎の兆しと診断され、

4日後には喀血して真っ青な顔になっていた」といいます。

そして37歳で死にます。

雨ニモマケズ」で玄米と味噌と少しの野菜はまさに玄米菜食なのですが、

やはり問題は玄米の食べ過ぎだったのです。

そして玄米を食べるにはやはり工夫が必要だったのです。

白米を食べるように4合も大食いしたことも大きな問題ですが、

むしろ白米と同じ炊き方をしてしまったことです。

実際に玄米を食べている人で、

その方法が悪いために体の不調をきたらす方もあります。

それはどのようなものかといいますと

 

1・胃もたれ、胃炎

2・下痢、悪臭便

3・手足が冷える

4・身体の様々な部位の痛み

5・頭痛、頭が重い

6・肩こり、体のむくみ

7・食欲不振

8・イライラ

9・慢性的な疲労

10・よく眠れない

 

宮沢賢治は上記10の症状がことごとく出ていたようです。