武士道が生まれた背景 08 内村鑑三の唱えた無教会主義は武士道だった
私は高校時代から43歳まで無教会主義的な信仰で歩んできましたが、
少なくとも断食に関しては、無教会の指導者たちからは一度も聞いたことがありませんでした。
しかし、その無教会三代目の指導者であった
旧約聖書学者、関根正雄(1912年8月14日 - 2000年9月9日)が編纂した
『内村鑑三』(センチュリーブックス・人と思想:清水書院、1967年)において、
内村がアメリカでアーマスト大かエール大に進むのかの判断を求めて、
3週間の断食をして祈ったことが書かれています。
その内村の人生を賭けた断食祈祷の生き様は、
まさに無教会主義の発芽を見ます。
ゆえに無教会精神は、断食祈祷にあるのです。
その無教会主義について内村はこのように語っています。
「真正(ほんとう)の教会は実は無教会であります。
天国には実は教会なるものはないのであります。
『われ城(まち、天国)の中に殿(みや、教会)あるを見ず』と
約翰(よはね)の黙示録に書かれてあります。
監督とか、執事とか、牧師とか、教師とか云う者のあるは此の世限りの事であります。
彼所(かしこ)には洗礼もなければ晩餐(ばんさん)式もありません。
彼所には教師もなく、弟子もありません」
「世に無教会信者の多いのは無宿童子の多いのと同じであります。
茲(ここ)に於いてか私共無教会信者にも教会の必要が出て来るのであります。
此の世に於ける私共の教会とは何であって何処にあるのでありましょうか。
・・・神の造られた宇宙であります。天然であります。
是が私共無教会信者の此の世に於ける教会であります。
其の天井は蒼穹(あおぞら)であります。
其の板に星が鏤(ちりば)めて有ります。
其の床は青い野であります。
其の畳は色々の花であります。
其の楽器は松の梢(こずえ)であります。
其の楽人は森の小鳥であります。
其の高壇は山の高根でありまして、其の説教師は神様御自身であります。
是が私共無教会信者の教会であります」。
(雑誌「無教会」明治34年【1901】3月14日付)
この無教会主義の芽生えの根底に内村の中に流れる武士道精神が生きているのです。
明治時代になってようやく9年遅れで、300年のキリスト教禁教から解放となって、
特にプロテスタントが入ってきました。
これは明治の武士階級の青年、とくに知識層にはかなりの影響を与えたのです。
この衝撃は、昭和期のマルクス主義思想の影響以上であったのです。
文明開化・欧化主義の高揚のなかで、キリスト教の世界に初めて接近し、
そこで「神」や宣教師と教会の雰囲気に触れることにより、
西洋に直接行ってみることのできない、
つまり洋行の出来ない多くの青年男女達が、
近代文明や近代市民社会がどんなものであるかを会得していったのです。