40日ファスティング経験者の本音!

ファスティング(断食)の素晴らしさやファスティングの正しい方法、効果などを紹介しています。

ファスティングと断食の違い 01 日本教から解放されるのか

私の人生で最も大きな影響を与えた書物があります。

それはイザヤ・ペンダサン(訳・山本七平)の著「日本人とユダヤ人」と「日本教徒」です。

2冊ともベストセラーで前書は300万部を超えています。

この本は何度も読んでいますが、今回、「ファスティング」と「断食」の日本人の捉え方を見る上で多くのことを教えられます。

 

私が高島市に移住して、農家民宿で「ファスティングの施設」を「断食施設」と話しますと対応は全く異なります。

特に「断食」というイメージがかなり重いというのか、修行という感が強いのです。

この原因は、日本人は、断食を自然のものではない、修行するものという強い捉え方に支配されているようです。

これは日本教の発想からくるものではないかと思います。

 

本来、ファスティングの語源は「ファスト」で「元気になる」という意味もふくまれているのですが、英語辞典では、「断食する」と訳したのが大きな間違いです。

それでは国語辞典で断食を調べますと「修行・祈願などの目的で、一定の期間、自発的に食物を断つこと」と書かれていますが、断食は修行、祈願だけのものなのでしょうか。

 

さて、I・ペンダサンの「日本教」の中に取り上げられたのが、貝原益軒です。

この本では、「大和俗訓」がとりあげられていますが、83歳の時(1721年)に書かれたものです。

また、同じ頃書かれ、今でも単行本で読まれているのが「養生訓」です。

I・ペンダサンは、「大和俗訓」こそ日本教のバイブルだと指摘していますが、確かにここで書かれたことは、明治以降の日本近代史に与えた影響も大きく、教育勅語に反映されてきたのです。

彼は自然の教えを解きました。

脱宗教としての日本教を組み立てたのです。

 

しかし、私は「断食」を普及させようと様々な研究をしている中で、I・ペンダサンが指摘した日本教の枠の中では、「断食は敷居が高いもの」という一般的な捉え方に気がつきました。

ですから今、断食が健康法として注目されているのは、脱宗教として宣伝した方たちがいたからでしょうか。

しかし、まだそうでない方が圧倒的に多く、宗教としての敷居が高い「断食」の観念を持っている方にとっては、縁遠いことになるわけです。

「断食」が、「ファスティング」として、庶民の間に浸透するには、脱宗教性しかないようです。

 

今、ドイツ、ロシアなど欧州では、断食することは、日常的になっています。

これはある意味では、欧州のキリスト教が脱宗教になっていることの表れでもありますが、日本はかつての尊王思想から、脱宗教化しているかといえば、そうではないようで、日本教と言う宗教に縛られているとI・ペンダサンが指摘していますが、その通りですから、欧州のように「断食」への偏見から解放される日は、まだ遠い先のようです。

ゆえに「ファスティング」を流行させるしかありません。

私たちが「発酵薬膳ファスティング」と断食を置き換えていることがどういうことかを説明しました。

いつかは日本教から脱出できる日が来るでしょう。

また導きだすようなモーセが日本に登場するでしょうか。

しかし、その登場を待っている時間はありません。