40日ファスティング経験者の本音!

ファスティング(断食)の素晴らしさやファスティングの正しい方法、効果などを紹介しています。

修道院シリーズ第2弾 チョコレート・ファスティングを体験する 04 チョコレートは発酵食であり、貴重な飲み物だった 

日本のチョコレート大手菓子メーカーである

ロッテの「チョコレートの起源と歴史」では次のように書かれています。

 

・・・紀元前から、古代メキシコではカカオは「神様の食べ物」といわれ、

大変高価なものでした。

16世紀の初め頃、アステカの皇帝モンテスマはとても貴重な飲み物として

黄金のカップで1日に50杯ものショコラトル(チョコレートのこと)

を飲んでいたといいます。

当時のチョコレートは、今とは違って、

カカオ豆をすりつぶしたドロドロした飲み物で、

人々はそれにとうもろこしの粉を加えたり、

バニラやスパイスで香りをつけて飲んでいました。

1519年、モンテスマ皇帝の前に1人のスペイン人が現われます。

カカオをヨーロッパにもたらしたフェルナンド・コルテス将軍です。

メキシコに遠征したコルテス将軍は、皇帝にチョコラトルをご馳走になり、

その未知の味にビックリ。

部下の兵士に飲ませて元気をつけさせたとか。

1528年、戦利品と一緒に持ち帰られたカカオとショコラトルは

スペインに持ち帰られました。

その後、砂糖などを加えた甘い飲み物として、

ヨーロッパ全土に広まっていきます。

スペインにカカオが伝わってから約300年後、

オランダ人のヴアン・ホーテンは考えました。

「ショコラトルを飲みやすくする方法はないだろうか?」。

そして1828年、カカオに含まれているココアバターを搾り取り、

ココアパウダーを発明しました。

ヴアン・ホーデンの発明は、渋く、苦く、くどかったチョコレートの欠点を解決して、

ココアを一般大衆の飲み物としました。

このココアの発明は、現在のチョコレートにつながる重要なきっかけとなりました。

1847年イギリス人のジョセフ・フライは、

カカオ豆をすり潰して砂糖を加えたものにココアバターを加えて、

今のチョコレートの原形を発明しました。

これが、「食べるチョコレート」のはじまりです。

しかし、「食べるチョコレート」はまだ苦味が強く、

一般に普及させるにはもう少し工夫が必要でした。

そこで、チョコレートにミルクを加えてまろやかにしたのが

スイス人のダニエル・ピーターです。

1876年に誕生したミルクチョコは、甘く、口当たりが良く人々を魅了しました。

こうして、チョコレートはさらに改良が重ねられ、

世界中に広がっていったのです。・・・

 

これはかなり大雑把な歴史なのですが、

詳しくは「チョコレートの歴史」(河出書房新社)に

詳細な歴史が書かれていて参考になります。

チョコレートの原料となるカカオは、

紀元前1200年頃から

メソアメリカ(メキシコ南部・グアテマラベリーズホンジュラスエルサルバドルの一部)

で栽培されていました。

太古の時代のアマゾン川流域の人々は、カカオの実を果物として食していました。

ジューシーで甘い果肉の部分だけを食べ、

チョコレートやココアの主原料となる種子(豆)の部分は

苦くて捨てられていたというのです。

捨てられたカカオ豆は高温多湿の気候によって自然発酵し、

チョコレートの風味が加わります。

その後偶然起こった山火事で、

カカオ豆の甘い香りと味が人々に知られるようになりました。

カカオ豆を焼き、すり潰して食べることから

チョコレートの歴史は幕を開けました。

チョコレートの原料となるカカオ豆は、ギリシャ語で

「神様の食べ物(テオブロマ)」という意味を持ち、

マヤやアステカの文化では、神様への捧げものや宗教儀式に使われていました。

カカオ豆は、貨幣・年貢・貿易品・薬としても使用されました。

アステカの通貨としてのカカオ豆は、

4粒でかぼちゃ1個、10粒でウサギ1羽、100粒で

奴隷1人に相当する高価なものでした。

「カカワトル」とは、カカオ豆を乾燥させて煎り、

殻を取ったものをすり潰してできた粉に、

唐辛子・バニラ・シナモン・とうもろこしの粉などを加えて水で溶き泡だてた

スパイシーな飲み物です。

飲むチョコレートの始まりとされています。

不老長寿・疲労回復・炎症の抑制・食欲不振などの治療薬として用いられていた

「カカワトル」はナワトル語で「苦い水」と表現されるほど

苦かったにもかかわらず、

王族や貴族など支配階級の人たちが愛飲する貴重な飲み物でした。