ユダヤから学ぶ引き算健康法 20 俺は俺、私は私
日本はとにかくうつ病が多く、当然、自殺も多い国です。
うつ病と自殺は正比例しているからです。
しかし、ユダヤ人はうつ病患者は極めて少ないし、自殺者は皆無です。
それはユダヤ人は「俺は俺、私は私」という強烈な自己主張が
ユダヤ人の特色だからです。
しかし、日本はその真逆で、
その場を支配する空気、集団的合意と総和で決められていく社会だから、
常に周囲の人の顔色を伺って行動しなければなりません。
それは自分=自己という個が確立されていないからです。
世間、会社、地域社会のあくまで構成員であり、
自分というものが存在しないからです。
西洋では絶対に聞かない言葉に「自分にごほうび」という言葉は
自分にもう一人の自分がいるという二分割です。
それは強烈な自分が存在しないことを意味します。
脆弱で未熟な者は簡単に二分割されていまい、同和されていくのです。
しかし、ユダヤ人は強烈な自己=自分を持っていますので、
上司に向かって「なぜあなたが私の上司で私があなたの上司ではないのか」
ということになり、まずは、どんな場合でも議論、論争が始まります。
そして相手がどのような人であろうともまず自分の考えを述べます。
受け入れられなくとも妥協はしません。
日本人のようにこの辺で話をまるく収めましょうというようなことはあり得ません。
自分の主張を貫くためにあらゆる手段を取ります。
オリンピックは異教の祭典だがユダヤ人は協力すべきかどうかとか
牛乳は身体によいのかなど健康の議論は延々と続きます。
相手と激しい議論をしても感情的なわだかまりは一切あり得ません。
初対面でもなぜの連発で、食事の時間に議論をすれば食事が上手くなるですが、
日本はまずくなるですから真逆です。
モーゼと神の会話で何度も神に抵抗しているシーンが記載されています。
タルムードも議論をするように書かれていますから結論はありません。
日本人はユダヤ人のような議論はしません。
ただし集団になると豹変しますが、ユダヤ人にはあり得ません。
そしてユダヤ人は人と同じことをするのを極端に嫌います。
神がこの世に自分を造られたのだから、
他の人間と同じことはあり得ないからです。
またユダヤ人は競争ができない、いや真似ができない領域で特化して勝負します。
延々と続く果てしない議論の中から生み出されたものです。
物事を根本的に変えて全員をそこに引き込むのも特質で、
金融資産のビジネスでも迫害されても
ユダヤ人なくしてはやれない社会を形成していきました。
強烈な自己を武器にして新しい価値観を生み出すのがユダヤ人です。
そうすればたとえ一人であろうとも世界中の人間を自分中心に動かせます。
このように強烈な自己主張は、精神的にも安定を与えます。
周囲の人、他人の目を一切、気にしません。
ただし宗教の戒律には縛られてはいますがまったくストレスはありません。