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武士道が生まれた背景  30 李登輝の武士道解題 08 第4章・勇気堅忍の精神

・・・勇気は、義のために行われる者なければ、徳としての価値はほとんどない。

講師は「論語」の中で、いつもの消極的な論法にしたがって、勇気について定義を下し、

「義を見てなさざるは勇なきなり」と説いているが、この格言を積極的に言い直せば

「勇気とは義をなすことである」ということになるであろう。

あらゆる危険をおかして命をあやうくし、死に向かって飛び込むことは、しばしば勇気と同一に見られた。

しかし、このような武人の無謀な行為は、シェークスピアの言う、

いわゆる「勇気の私生児」であって、不当に讃美された。

しかし、武士道においては、そうではなかった。

死に値しないことのために死ぬのを、「犬死」といって卑しめてきた。

プラトンは、勇気を定義して「恐るべきものと、恐るべからずものとを識別することである」と言っているが、

プラトンの名前すら聞いたことがなかった、水戸光圀は、次のように言っている。

「戦いに臨んで討ち死にすることは難しいことではない。

それはどのような野人でもできることである。

しかし、生きるべきに生き、死ぬべきときに死ぬことこそ、真の勇気である」と。

西洋においては、肉体的な勇気と道徳的な勇気とを区別しているが、

わが国民の間でも昔からそのことはよく知られており、いやしくも武家に生まれた者は、

少年の頃より「大勇」と「匹夫の勇」との違いをわきまえない者はいなかってであろう。

勇気、我慢、大胆、自若、勇猛などの心性は、少年武士の心に最も強く訴えられ、

実例を模範として幼いときから訓練され、励みとされた、いわば最も人気のある徳性であった。

彼らは母親のふところに抱かれた幼児のころから、軍記物語を繰り返し聞かされ、

もし苦痛なことがあっても泣き出したりすれば、

「これくらいのことで泣くとは、なんて臆病なんでしょう」と母親に叱られ、

「もし戦場に出て、腕を切られるようなことがあったら、どうしますか。

もし切腹を命じられた時はどうしますか」と、励まされた。・・・

 

 

 

【解説】

李登輝は総督時代のことをかなり引用して解題されています。

中国のたびたびの脅かしに屈しなかったことの判断は、この武士道の判断であったこと。

また総統選挙でライバルに敗れたことへの決断などです。

長々と引用した新渡戸の勇気について、多くのことを教えられます。

やはり新渡戸の「武士道」は今や日本人全員が英文で読むことです。

そして英語のテキストに取り入れるべきではないかと思います。

日本人が戦後、アメリカにマインドコントロールされすぎているからです。

日本人の勇気と覚悟を今こそ、この「武士道」から学ばないと崩壊します。