武士道が生まれた背景 18 李登輝の武士道解題 01 李登輝とは
不思議なことですが、日本人よりも武士道精神に現代も生きていた人物が
台湾を導き世界に台湾の存在を知らしめる指導者、李登輝でした。
ここから数回にわたって李登輝の書いた「武士道解題」を紹介しながら、
サムライ精神=武士道を学んでいきます。
それがサムライ・ファスティングへの基礎となるからです。
その前に李登輝とはいかなる人物か紹介しておきます。
日本大百科全書(ニッポニカ)
李登輝(りとうき / リートンホイ・1923― )
台湾(中華民国)の政治家。学者。1988年から2000年まで総統を務める。
日本統治下で旧制の台北高等学校を卒業後、
戦争のため砲兵(高射砲隊)に志願した。
1968年にはコーネル大学で博士号を取得。
学位論文「台湾における農工間の資本流通」は、
全米農業経済学会最優秀論文としてたたえられた。
前後20年にわたって台湾大学で教鞭(きょうべん)をとりつつ農業改善に貢献、
その手腕を総統蒋経国(しょうけいこく/チヤンチンクオ)に認められて
1978年台北市長、1981年台湾省主席となり、1984年副総統に就任した。
1988年1月、蒋経国の死により台湾出身の最初の総統に就任し、
同年7月中国国民党党主席に選出される。
以後、自由・民主・均富という「現代の三民主義」を掲げて
1996年3月には総統・副総統の直接選挙を中国史上初めて実現した。
このような民主主義の大実験に対して中国政府は
三次にわたるミサイル実射演習などの「文攻武嚇」の圧力を加えたが屈せず、圧倒的多数を得て当選した。
台湾の民主化と台湾人としてのアイデンティティーの形成に努めたが、
1999年7月には中国との関係を「特殊な国と国との関係」と発言し、
中国側の猛反発を受け、両岸関係の緊張は高まった。
その後、李登輝の後任を決める2000年3月の総統直接選挙で、
国民党候補の連戦(れんせん/リエンチャン)が
民主進歩党(民進党)の陳水扁(ちんすいへん)候補に大敗したため、
率先して党主席を辞任した。
台湾の今日の発展をリードした学者政治家としてその名声は高く、
「愛心と信心」をモットーとするクリスチャンでもある。
[中嶋嶺雄]
代表的著作は
▽『李登輝著『愛と信仰――わが心の内なるメッセージ』(1989・早稲田出版)