クリスチャンドクター・日野原重明の生き方、死に方 08 最後の目標は
日野原先生が車椅子生活になられて書かれたのは
「低い視線」からみた様々な経験です。
日々の景色がすべて変わったこと。
また目線が低い景色をすべるように迫ってくると書いておられます。
今まで車椅子の患者さんを見下ろすことがあっても
自分がその位置になると立場は逆です。
障害や不治の病と生きる人たちと同じ視線に立ち、
共有できる立場になったと言われます。
また、体がもっと動いたらと気が沈むとも言われます。
しかし、車椅子の生活は長生きするという目標のために
不可欠な手段だというプラス思考に切り替えたとも。
100歳を超えたられた日野原先生は、
このエッセイを読むとかなり長生きするのだという目標がある意味では
縛っているように思います。
そして103歳になられて、
主治医からは仕事量を1/3に減らすように強く言われますが、
ますます講演は増えていきます。
そして103歳を迎えた日にこのように語っておられます。
「私の次の関所は2020年の東京オリンピックです。
6年後、私は108歳になっています。」
かくして日本最高年齢の方を目標だと言いますが、
103歳で116歳の最高年齢者を目標にされる強い意識は理解できますが、
主治医が仕事量を1/3に減らせというアドバイスに従っていただきたかったという気がします。
しかし、自分の目標を立てたら崩せないというものは
かなり強かったのではないかと思います。
シナゴーグで死ぬことだといいます。
つまり人生目標がすべて礼拝など神との契約の成就であり、
最後は礼拝する場、コミュニティの最後の場、
シナゴーグ、教会で召されるというのです。
日野原先生はクリスチャンである前に医師としての使命感が強過ぎたのではないかと思います。
日野原先生が神に仕えるということを中心にされたら、
たとえ車椅子であろうとも仕事もほとんどせず、
ただエッセイだけを書いて著作とSNSだけで多くの方に
メッセージを120歳まで語り続けることが可能であったと思います。
そして聖路加病院礼拝堂でいつも祈っておられる
日野原先生のお姿であってほしかったと思います。
もし神がゆるされて本当に100歳を超えることができ、
日野原超えに近づいたら私はそのようにしたいと思います。
やはりユダヤの健康法が正しいと確信します。
なぜなら100歳まで生かせていただくのは神の恩寵以外のなにものでもありません。
100歳から何年生きるのと好奇心で見られるのは
本当の100歳を迎えたものの生き方ではないと思います。